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『聖霊に満たされ、一つとなって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 使徒9:31

はじめに

本日の神召聖会に於いて、教会の標語ともなっている「御霊に満たされ続け、一つとなって」前進して行った初代教会を見てまいります。

Ⅰ.イエスは神の子、キリスト

以前のパウロは、教会を激しく迫害する者でした(ピリピ3:6)。しかし、復活の主イエスとの出会いによって、彼はイエスが神の子であると信じ、御子イエスを宣べ伝える者となりました(使徒9:20)。それは、彼が主イエスを知ることの素晴らしさを理解し(ピリピ3:8)、救いの大きな喜びを知ったからでした(Ⅱコリント4:13)。

パウロは、迫害や困難の中にあっても、福音を宣べ伝えました。それは救いの喜びと同時に、福音を語ることによって、主が彼にますます力を与え、キリストこそが唯一人の救い主であることを確信させたからです(使徒9:22)。

私たちは、主イエスの十字架の贖いによって救いを頂き、日々、主と共に生きるようにして頂きました。パウロのように、救いの喜びである福音を、大胆にことあるごとに周囲の人々に伝えて行きましょう。

Ⅱ.教会の仲間に加わることの大切さ

主を信じたパウロは、教会の仲間に入ろうとしました。しかし、教会はパウロが回心したことを信じることができず、彼を警戒していました。それでもパウロは、教会の警戒心がとけるまで待ったのです。彼は、一人で伝道しようとせず、また、教会とは違う分派を作ろうとはせず、あくまでもキリストの共同体である教会に入り、そこで主の働きをしようとしたのです(使徒9:19、26)。

バルナバは、パウロが教会の仲間になるための仲介者となりました。それによって、教会はパウロに対する警戒心や疑いを捨てて、パウロを迎え入れました(使徒9:28)。この様に、互いに主の救いを受けた者として受け入れ合う時、主はそこに主の愛の御業を表してくださいます(マタイ18:19)。

教会は、主イエスを神の子キリストと信じる信仰の上に立てられます(マタイ16:18)。主イエスの十字架によって贖い出された教会は、「キリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」(エペソ1:23)。主の御業は、教会を通してなされ、主の栄光は教会を通して表されるのです。

Ⅲ.主を恐れかしこむ

本日の聖書箇所では、教会がますます前進していったことを記しています。その理由は具体的には、パウロが主イエスを信じて「ただちに」福音を宣べ伝えたこと、また、回心したパウロを教会が迎え入れたことにあります(使徒9:31)。これは、言い換えるなら、パウロと彼を受け入れた教会の態度に示された信仰の本質による結果です。主のみ業がなされるのは、人の能力や計画によるのではなく、人が主を恐れかしこみながら歩むことによるのです。

教会が主のみ業を行い前進して行くのは、クリスチャン一人ひとりが主に対してどのような信仰をもって歩むかということと密接に関係します。私たちは、ますます主の御心を探り、主の御心に従って生きることが大切です。そのために、主イエスの御心を深く教えてくださる聖霊(ローマ8:26-27)を、飢え渇きをもって求めて行きましょう。

結 び

初代教会の前進は、パウロの回心と彼を受け入れた教会の姿に見られるように、聖霊に励まされ、主を恐れかしこんで生きることに示されました。主を私たちの群れの中心に置くとき、教会が築き上げられて、平安を保ち続けて行きます。私たちは聖霊に励まされ一つとなって主のみ業に参加させて頂きましょう。

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