礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2016年礼拝メッセージ

『新年礼拝 -聖なる会合に集う-』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ1:39-56

はじめに

主にあって、あけましておめでとうございます。この年も、皆様の上に主の豊かな恵みがありますよう、お祈りいたします。本日は、主が招集される礼拝についてみてまいります。

Ⅰ.主が招集した聖なる会合、礼拝

レビ記23章には、主がモーセに命じられた「主の例祭」が記されています。その中で、「第七月の第一日」を「全き休みの日」として、「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」を行うように命じています(レビ23:24)。この「第七月の第一日」は、後にイスラエルの人々にとって、新年最初の日(=元日)となりました。それは、週の七日目が安息日で聖なる日であるように、月の第七番目が一年のうちで聖なる月とされたという経緯によるものでした。

イスラエルの民が、新しい年の最初の日に主を礼拝することはもちろん、主が定めた他の「聖なる会合」、すなわち、主の集会に集まることは主ご自身が命じられたことです。神の民として信仰をもって生きるとは、主によって呼び集められ、主の招集に応えて聖なる集会に集いつつ生きるということです。これは、今日の主に召し集められた者たちの共同体である教会も同じです。

主が私たち一人一人を主の栄光を現すために呼んでくださり、それぞれに賜物を与えてくださっています。賜物は、主の群れである教会のために用いられるものです。新しい年も、「主がお入用なのです」(ルカ19:31)との御声に聞き従って、主の働きに加えて頂きましょう。

Ⅱ.主に贖われた者は主を喜び誉めたたえよ

新年のラッパの日はまた、十日後の「贖罪の日」(レビ23:27)に向かって備えをさせるものでもありました。民は角笛の音によって、新年に際し、旧年の主の恵みに感謝をして、古い年の自らの罪を主の前に悔い改め、憐れみ深い主に感謝すると共に、新しい年に主を待ち望むのです。これこそが、新しい年の初めに思い起こすべきことです。

本日の聖書箇所に示されているイスラエルの民が行うべき例祭、聖なる会合は、今日の私たちが教会に集い主を礼拝していることの土台となっています。それぞれの例祭が、主イエス・キリストを指し示し、主の十字架の贖いによる救いと、信仰者の歩みを教えているからです。

私たちは、罪赦されて新年を迎えることが出来たことを感謝して、主の十字架の憐れみの中で今があることを覚えて、この年も主の御業に期待して、主を喜び、主の御名を誉めたたえる歩みをさせて頂きましょう。

Ⅲ.全ては主の栄光のために

私たちは今、主イエスの十字架の贖いと、三日目に復活されたことを覚えて、週の初めの日の日曜日に礼拝をしています。教会は、主イエスの復活の記念日である日曜日、主の日に「聖なる会合」である礼拝を守っています。今年も、私たちのクリスチャンの信仰生活の中心であり基礎である礼拝から始めましょう(ヘブル10:25)。

聖書はまた、「ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます」(ローマ14:5)と語ります。クリスチャンは、世のこれまでの暦に代表されるような様々な慣例から解放され、自由に霊とまことをもって日々、主を礼拝する者と変えられた者です。しかし、世にあっては信仰の戦いがあります。そのような時にこそ、「それぞれ自分の心の中で確信を持ち」続けること、そして、すべてのことを主の栄光のために行うべき事を聖書は励ましています(ローマ14:6-9)。私たちは毎週の主の日の「聖なる会合」である礼拝に生きることによって、この年も日々、聖霊に導かれ、御言葉によって養われて、互いに励まし合いつつ歩んで行きましょう。

結 び

主の御年2017年がスタートしました。年が新しく加えられ、「かの日」、すなわち主イエスが再臨される日がさらに近くなったことを覚えます。キリストにある者どうしが互いに励まし合いながら、一つとなって前進し、主がいつ帰って来られても良いように備え、一人一人がキリストの証人として主に委ねられた尊い働きを精一杯行う者とさせて頂きましょう。主の恵みはこの年も十分に備えられています。ハレルヤ!

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分