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『聖なる者、神の子』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ40:1-11

はじめに

アドベント第三週は、御使いを通して語られた主の御言葉に従ったマリヤの信仰を見ます。

Ⅰ.人間の歴史に介入される神

父なる神は、私たち人間の救いのために、御子イエスを世に遣わしてくださいました。御子の誕生のために、マリヤが選ばれました(ルカ1:26-27)。これは、彼女にとっては、「ひどくとまどって」しまう突然のことでした(ルカ1:29)。

主なる神の介入は、私たちにしばしばマリヤのような戸惑いや恐れを覚えさせることがあります。それは、人知を遙かに超えた主のみ業だからです。旧約聖書において、イスラエル民族の歴史を導き、介入された主のみ業を振り返っても驚くことばかりですが、その頂点が主イエスの誕生でした。

主の救いのみ業は、あまりにも偉大なので、私たちには受け止められないことがあります。しかし、主が成し遂げてくださるみ業を、信仰をもって受け入れる時、主の偉大な栄光を見させていただけることを覚えましょう。

Ⅱ.私たちに臨まれる聖霊

御使いはマリヤに「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1:28)と語りかけました。彼女は聖霊によって身ごもり、生まれてくる子がいと高き方の子と呼ばれ、永遠に世を治める王となることをも告げられました(ルカ1:30-33)。

マリヤは、自分の理解を遙かに超えたあまりに大きな事を告げられたために、それはどのようにして実現するのかを問うしかありませんでした(ルカ1:34)。御使いの答えは、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(ルカ1:35)というものでした。

マリヤに起こった突然の主の介入は、彼女だけに起こったことです。しかし、聖霊を通しての神の介入は、今の私たちも一人ひとりに与えられます。私たちは神に敵対していた者でしたが、聖霊が臨んでくださる時、主イエスの十字架の贖いを理解させて頂き、罪を赦され、主を信じて共に生きる幸いを頂く者とされたのです(ガラテヤ2:20)。私たちに起こった主の介入による奇跡、それは、私たち罪人が主を信じたこと、そして主が私たちと共におられることです。ハレルヤ!

Ⅲ.幸いなのは主の御言葉に従う者

御使いが告げたことに対して、マリヤは「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1:38)と応えました。これは、マリヤの御言葉に従うという信仰の告白でした。これはマリヤだけではなく、すべてのクリスチャンが告白すべき信仰の応答です。

人間的に見るならば、マリヤは喜びどころか大変な苦しみを負うことになります。それにもかかわらず、マリヤが神の御言葉を信じて受け入れたのは、主の御言葉の真実を信じたからでした。御言葉に従う時、確かな平安の内に主にすべてを委ねることができます。

私たちは、このマリヤの信仰に倣おうではありませんか。神の御言葉は恵みの御言葉であって、それがこの身に実現することによってこそ、本当の喜びと幸いを頂くことができるからです。主に身を避ける者は幸いであり(詩34:8-9)、主イエスは「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11:28)と語られたのですから。

結 び

マリヤは、主が御使いを通して語られた御言葉を恵みの言葉として受け取りました。「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)という御言葉を信じたからです。神の全能の力は、主イエスの誕生と十字架の死、そして三日目に死人の中からの復活において具体的に示されました。私たちは、毎週の主の日の礼拝において、復活の主を礼拝し「神にとって不可能なことは一つもありません」と告白するのです。クリスマスのこの時期、マリヤの信仰に倣い、「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と告白する信仰にますます立ち続けようではありませんか。

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