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『人となられた神』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ2:6-11

はじめに

本日よりアドベント(待降節)となります。本日の聖書箇所から、主イエスがこの世にお生まれになった目的を見てまいります。

Ⅰ.主イエスは人間と同じくなられた

聖書は、神に創造され命を与えられた人間は、神に従って生きることが本来の姿であることを教えています。しかし、人間は神に対する罪のために、神から離れてしまったばかりではなく、神に敵対する者となったのです。「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)と聖書にあるように、命の神から離れるなら、人には永遠の滅びしかありません。

私たち人間の滅びを望まない父なる神は、ご自身のひとり子イエスを、救いのためにこの世に遣わしてくださいました。御子イエスは、神であるにも関わらず、私たちと全く同じ人となってくださいました(ピリピ2:6-7)。この驚くべきことが、神のひとり子である主イエスの誕生において起ったのです。

主イエス・キリストの十字架の贖いによって、主を信じるものは誰でも救いを頂き(ローマ10:13)、神の子となる身分を与えられ(ガラテヤ4:5)、永遠の命を約束されたのです(ローマ6:22)。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、新しい主にある命に生きる者とされました。神に新しく創造された民とされたことを感謝し、主と共に生きる歩みを続けて行きましょう。

Ⅱ.主イエスが生まれてくださった目的

人間は、罪のために、自分が神になったり、他の何かを神として生きています。主との正しい関係から外れる時、人間同士の関係はもちろん、様々なところで罪の結果が生じます。神の御子は、罪人の救いのために、神と等しい者であることに固執せずに、私たちと同じ人、しかも「仕える者」、すなわち、しもべとなってくださいました(ピリピ2:7)。

神の御子が人となられ、「十字架の死にまでも従われ」たのは、私たち罪人の救いのためです。また、誰一人として成し得なかった父なる神への全くの従順を示すためであり、私たちに主に倣うべき模範を教えるためでした。それは、十字架以外に人間の究極の救いはないからです(使徒4:12)。

主イエスの十字架は、主がこの世にお生まれになったことの目的です。私たちは、しもべとなられた主イエスの御姿に倣い、御言葉と御霊によって、主なる神に仕える者とさせて頂きましょう。

Ⅲ.主の救いを頂いた者への礼拝の招き

十字架の死にまでも従われた主イエスを、父なる神は高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました(ピリピ2:8)。このことは、主イエスの復活と昇天、全能の父なる神の右の座におられるということに表されています。その主の偉大な救いの御業を、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白」(ピリピ2:10-11)するのです。

主イエスの救いをいただいた者は全て、「イエス・キリストは主である」と告白して、主イエスを遣わしてくださった父なる神を誉めたたえる礼拝へと招かれます。待降節、主イエスの十字架の救いを頂いたことを感謝しつつ、この救いを私たちに与えてくださるために、御子イエスを遣わしてくださった神を誉めたたえましょう。

結 び

神の御子イエスが、私たち罪人の救いのために、私たち人間と全く同じとなってこの世に下ってきてくださいました。十字架の贖いを成し遂げてくださり、私たちに永遠の命を与えるために、ご自身の命を捧げてくださいました。その偉大な神の御業に心からの賛美をささげつつ、喜びと感謝を持ってこのアドベントの期間を過ごしてまいりましょう。

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