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『キリストの中にある者』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ3:1-11

はじめに

本日の聖書箇所から、「キリストの中にある者」の姿について見てまいります。

Ⅰ.キリストを信じる者の変化

主イエスを救い主として受け入れる時、その人に変化が起こります。そのことを、パウロ自身が、このように述べています。「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。」(ピリピ3:7

主イエスを知り、その救いを頂いた者は、これまでの世の価値基準とは全く異なる神の価値基準に生きる者とされるのです。そればかりではなく、キリストを知っていることのすばらしさのゆえに、今までこれこそが唯一自分を生かすものと拠り頼んでいた世のものが、「ちりあくた」(「ふん土のように」(口語訳))と思うほどになるのです(ピリピ3:8)。

父なる神は、御子イエス・キリストによって私たちに救いの道を備えてくださいました。それは、主の救いが「人間的なもの」によってではなく、信仰によって誰にでも与えられるためでした。主イエス以外には、だれによっても救いはありません(使徒4:12)。そして、だれでもキリストのうちにある者は、新しく造られた者であり(Ⅱコリント5:17)、キリストに似る者として成長して行くのです(エペソ4:13)。

Ⅱ.キリストとの交わりに生きる者とされる

パウロは、キリストを知ることこそ救いだと断言します(ピリピ3:8)。キリストを知るとは、単にキリストについての知識を得ることではありません。キリストを知るとは、キリストとの生きた豊かな交わりに入れられるということです。

主なる神は、私たちが神を知る遙か以前に、すでに私たちを知っておられました(エペソ1:5)。その主が、私たちを主イエスとの相互の愛の交わりに入れてくださったのです。信仰によって「キリストの中にある者」と認められ、神の前に「義なる者」とされたと述べる時、パウロはそのことを語っているのです(ピリピ3:9)。

主イエスを信じ、その救いに与った者には、常に主との交わりをするために聖霊が内に宿ってくださいます(Ⅰコリント6:19)。この聖霊が、私たちにキリストの言葉を思い出させ、理解させてくださり、主の御心を歩むようにする交わりに入れてくださるのです。ですから、「御霊を消してはなりません」(Ⅰテサロニケ5:19)。むしろ、聖霊に燃やされて、ますます主と交わり、主に仕えて行こうではありませんか。

Ⅲ.救いの完成を待ち望む

パウロは、信仰によって「キリストの中にある者」とされ、主の前に義に生かされる者とされた歩みについて、二つのことを語ります(ピリピ3:10-11)。一つは、「復活の力を知る」こと、もう一つは「キリストの苦しみを知ること」です。

主の救いは、主イエスを信じて受け入れた瞬間から与えられます。しかし、キリスト者の復活は、主イエスの再臨の時に完成します。また、主イエスの十字架は復活の前の苦しみであり、十字架なくして復活は有り得ません。

私たち一人一人には、それぞれ主から与えられた十字架があります。その十字架を背負って歩むなら、永遠の命、永遠の報いを主が与えてくださることを覚えましょう(マタイ16:24-25)。パウロはその事を覚えて、何とかして、全ての人の望みである復活にあずかりたいと願ったのです。しかし、主イエスは、主のくびきは「負いやすく」、主の荷は「軽い」(マタイ11:29)と語られました。この主のくびきを負って、信仰生活にまい進しましょう。救いの完成を待ち望みつつ、聖霊に導かれながら、主イエスを信じる信仰に堅く立ち続けようではありませんか。

結 び

父なる神は、御子イエスの十字架の贖いによって、私たちに救いの道を備えてくださいました。主イエスを信じる信仰によって、誰でも「キリストの中にある者」とされ、主の前に義なる者とされます。私たちクリスチャンは主と共に生きる者とされ、主の永遠の栄冠を目指して歩む者とされました。永遠の命と主からの報いを信じて、今の時を御霊に導かれながら歩ませて頂きましょう。

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