礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2016年礼拝メッセージ

『新しい天と新しい地』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ65:13-25

はじめに

本日は、イザヤの祈りに対する主の答えから、救いの大いなる御計画について見ます。

Ⅰ.主は全ての事を益にしてくださる

イスラエルが、バビロン捕囚となったのは、彼らの代々の主に対する罪のためでした。預言者イザヤは、捕囚となった自分たちの状況を主に訴えました(イザヤ64:12)。そのイザヤの祈りに対して、主は驚くべき答えを示されます。一つは、主の救いが異邦人にも与えられるということです(イザヤ65:13-16)。

このことについては、使徒パウロも語っています(ローマ11:11-14)。イスラエルの反逆のために、救いが異邦人に及びます。究極的には、異邦人の救いを通してイスラエルの人々に主を呼び求めさせる思いが起こされるというのです。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)。全ての人を救うことを願っておられる主は、人間の思いや理解を超えたその偉大な英知で救いの約束を成し遂げてくださるのです。主はすべてのことを働かせて益としてくださることを、覚えましょう(ローマ8:28)。

Ⅱ.主によって創造された新しい民、キリスト者

主は、「わたしのしもべたち」と「あなたがた」と呼ばれる者たちのことを対比して語っています。「わたしのしもべたち」とは、神の救いを受け入れて、神の民とされた人たちのことです。また、「あなたがた」とは、背信のイスラエルの民のことです。この「わたしのしもべたち」は、後に「ほかの名で呼ばれるようにされる」(イザヤ65:15)とあります。それは、「クリスチャン」とか「キリスト者」と呼ばれるようになります(使徒11:26)。

キリスト者とは、初代教会時代に主イエスを信じる者たちにつけられたあだ名です。いつでも、どこでも、イエス・キリスト、イエス・キリストと言っていたので、この人たちはキリストの熱狂者、「キリスト者」と呼ばれるようになったのです。言い換えるなら、クリスチャンは主イエスを信じてからは、だれの目にも明らかなキリスト中心の生活を送っていたのです。

これら神のしもべたちは、まことの神によって祝福されるものとされます(イザヤ65:16)。私たちは、イザヤの預言の通り、主イエスの十字架の贖いによって新しくされた民です(Ⅱコリント5:17)。

Ⅲ.新しい天と新しい地の創造

捕囚から解放されて、エルサレムに帰還した民が見たものは、バビロンに破壊された時代と変わらない悲惨なエルサレムの現実でした。だからこそ、主は、目前の一時的な帰還の喜びだけではなく、「新しい天と新しい地」、すなわち、永遠に続く不変の喜びを与えられると約束してくださったのです。

現代においても、帰還した民が見たような現実が存在し続けています。個人的問題のみならず、世界規模においても様々な不安や恐れは尽きないばかりか、死という究極的な恐れがあります。しかし、そのことを十分にご存じの主は、「彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く」(イザヤ65:24)と語ってくださるのです。その約束は主イエスによって成し遂げられました。インマヌエルの主は私たちと共におられ、私たちの現実に介入してくださり、その御力をもって治めてくださるのです。そればかりではなく、やがて主イエスが再臨される時に、私たちは全く新しく創造された天と地において、「顔と顔とを合わせて見ることになります」(Ⅰコリント13:12)。その日を待ち望みながら、堅く信仰に立って、御霊に導かれて歩み続けましょう。

結 び

預言者イザヤは、罪の結果であるバビロン捕囚というさばきについて主に訴えて祈りました。主は答えてくださいましたが、それは人の考えが到底及びもつかない偉大なもので、全ての人の救いに関するものであり、やがてもたらされる究極的な神の統治、新しい天と地の創造の御業についてでした。私たちクリスチャンは、御子イエスの十字架の贖いによって神の民とされたばかりではなく、新しい天と地である御国の世嗣とされました。栄光の冠を目指して、主が再び来られるまで、信仰に堅く立ち、主のわざに励んでまいりましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分