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『主イエスの洗礼』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マルコ1:9-11

はじめに

本日の聖書箇所から、主イエスが私たちに先立ってバプテスマ(洗礼)を受けてくださったことについて見ます。

Ⅰ.主イエスのバプテスマ

主イエスは、その公生涯に入る前に、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。ヨハネの洗礼は、「罪の赦しのための悔い改め」(マルコ1:4)によるものでした。しかし、罪の無い神の御子イエスのバプテスマは、罪の赦しを必要とする私たちと同じくなられ、救いを与えるためのものでした。

人と同じくなられた主イエスの姿勢は、その生涯に渡って貫かれました。主は罪人と共に生活され、最後には罪人の一人として十字架の上で死んでくださいました。主イエスの十字架の贖いのみわざは、自ら洗礼を受けられた所から始まったのでした。

「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4)。私たちは、この洗礼によって主イエスと一つに結ばれた者の群れである教会の一人とされ、御国の福音に生きる者とされたのです。

Ⅱ.天が裂けて聖霊が下る

主イエスが洗礼を受けられると、天が裂けて御霊が主のもとに下り、天から父なる神の声がありました(マルコ1:10-11)。これは、私たち罪人の救いが、父と子と聖霊なる三位一体の神のみわざであるということを示しています。

「天が裂けて御霊が鳩のように」下ってきたのは、罪人である私たちを愛して止まない父なる神が、天を裂くようにしてこの世に介入し、救いを与えてくださることが始まったことを示しています。やがて、主イエスが十字架で救いのみわざを成し遂げられた時、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(マルコ15:38)ように、神と人との間にある罪による隔たりが取り除かれたことを先取りとして示しています。

主イエスによって、私たちは裂かれて開かれた天を仰ぐことが許されました。さらには、信じる者すべてに聖霊が与えられ、私たちは父なる神に「アバ。父よ。」と呼ぶ特権が与えられました。ですから、私たちは、おりにかなった助けを主から頂くために、神の恵みの御座に大胆に近づくことが許されています(ヘブル4:16)。私たちは、いつでも大胆に主の御許に行くことのできる特権に感謝し、いつも主と共に生きる恵みに生かされて行きましょう。

Ⅲ.父なる神の宣言

父なる神は、御子イエスに「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1:11)と語られました。この言葉は、主イエスに語られただけではなく、主イエスを信じて洗礼を受ける私たちに語られた言葉でもあります。神の御心は罪人が悔い改め救われることであり(ヨハネ3:16)、父なる神は罪人が救われることを大いに喜んで下さいます(ルカ15:10)。

主イエスの十字架の贖いによって、救いが私たちに与えられました。さらには、求める者にはだれにでも聖霊が与えられるという約束がペンテコステの日に成就しました。聖霊は「罪について、義について、さばきについて」教え(ヨハネ16:8)、また、キリストの言葉を思い起こさせ理解させて下さるお方です(ヨハネ14:26)。聖霊こそが、主の御心の深みまで教えて下さるのです。

主なる神は、その熱心さをもって、今に至るまで、罪人が救われるようにと、そのみわざを進めておられます。主はその働きのために、また、私たちが主と共に喜ぶことができるようにと、主のみわざに参加するようにと招いてくださっています(マタイ28:20)。私たちは、主の救いのみわざに加えさせて頂き、時が良くても悪くても、主の命の御言葉を宣べ伝えて行きましょう。

結 び

主イエスは、罪が全くないお方であるにも関わらず、罪人と同じくなられて洗礼を受けてくださいました。それは、主が罪人と共に生きて歩み、人の罪を全て背負って、身代わりとなって十字架の贖いを成し遂げるためでした。主イエスが洗礼を受けてくださったことによって、神が人の救いをどれほど願い、喜んでおられるかが示されました。そればかりではなく、主の救いのみわざを伝えるために聖霊を与えて下さるとの約束を成し遂げて下さいました。主イエスに倣って主を信じ、主の働きのために用いられてまいりましょう。

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