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『復活されたキリスト』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ28:1-10

はじめに

イースターおめでとうございます。本日の聖書箇所から、主イエスのよみがえりの事実を見てまいります。

Ⅰ.復活のキリストは生きた者の神

十字架で死なれた主イエスは、墓に葬られました。三日目の週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、他のマリヤが墓を見に行きました。しかし、大きな石でふさがれていた墓の扉の石はすでに転がされており、扉は開かれていました。これは、死が閉ざしていた扉が開かれ、暗闇の中に命溢れる救い主の光が差し込んだことの象徴でした。

御使いは、恐れている女性たちに、十字架につけられた主イエスは墓にはおられないことを告げます(マタイ28:5-6)。全ての終わりであり、葬りの場所である墓の中に主イエスがおられないとは、主が死に完全に勝利されて、復活の勝利と神の偉大な御業の栄光を現わされたということです。復活された主イエス・キリストは、死者の中にではなく、生きている者のただ中におられます。 聖霊を通して、生ける主の臨在がいつも私たちと共にあることを覚えましょう。

Ⅱ.主の復活はキリスト者の究極的な希望である

主イエスは、弟子たちと最後の晩餐をされた時、主の十字架は、人々の罪の赦しのためであることを語られました(マタイ26:27-28)。十字架で死んでくださった主は、三日目によみがえってくださいました。主イエスの復活は、父なる神によることでした。

主イエスの復活は、私たちの罪の赦しのために捧げたご自身の命を、父なる神が受け入れてくださったことをも意味しています。父なる神は、主イエスが捧げた命を受け入れてくださったからこそ、主イエスは死者の中からよみがえられたのです。聖書は、もしキリストの復活がなければ、私たちの信仰はむなしく、今もなお罪の中にいること。そして、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになると教えています(Ⅰコリント15:17-18)。キリストの復活こそ、教会が罪の赦しを信じ、宣言する根拠です。さらには、主がよみがえられたように、私たちも主の再臨の終わりの日に、復活させて頂くという最も偉大な希望なのです(Ⅰコリント15:19-20)。

Ⅲ.ガリラヤで待っておられる主

御使いは、女性たちに「行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(マタイ28:10)と伝えるよう命じました。弟子たちは、主イエスが捕らえられる時、主を見捨てて逃げてしまいました(マタイ26:56)。そのような弟子たちにも、主の復活のメッセージが伝えられました。

ガリラヤは、弟子たちが最初に主イエスに出会って従って行った所で、いわば彼らの原点です。そこで主イエスが待っておられるとは、弟子たちはもう一度、主イエスに従い、主と共に生きることができる機会を与えられたということです。しかも、それは単なる再出発ではなく、死者の中から復活されたキリストに新たに従うという、これまでとは違った全く新しいことが始まることを意味しています。主は、そのような弟子たちを「弟子」ではなく、「わたしの兄弟たち」と呼ばれました。それは、主の十字架の贖いと復活によって、これまでとは全く違う新しい主との関係が始まることを示しています。

弟子たちが「わたしの兄弟たち」と呼ばれたように、私たちクリスチャンもキリストにある兄弟姉妹として、罪の赦しにあずかり、新たに復活のキリストに従うことが許されました。教会は、主が御自身の命をもって贖い出された者たちの群れであり、新しいキリストの復活の命に生かされている共同体です。主の復活の恵みを心から喜び祝い、なお、主のしもべとして仕えて行きましょう。

結 び

主イエス・キリストは、私たち罪人の身代わりとなって十字架で死んでくださいました。父なる神は、その栄光の力によって、イエスを死者の中から復活させられました。父なる神が御子を復活させたのは、私たちも新しい命に生きるためです(ローマ6:4)。主の十字架の苦難と死、復活によって、私たちはもはや死に支配されない、永遠の命に生きる者とされました。このキリストの復活の命に生かされていることを感謝し、ますます、主に従う歩みをさせて頂きましょう。

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