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『救いの王イエス』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ19:29-40

はじめに

本日より受難週です。主イエスが十字架の贖いのために、エルサレムに進み行かれる姿を見ます。

Ⅰ.主は先に、必要なことを用意しておられる

主イエスは、二人の弟子に、エルサレムに入るためのろばの子を連れてくるように命じられました(ルカ19:30)。その際、主は二人に、村に行ったなら一頭のろばの子がつないであるのを見つけるので、それをほどいて引いて来なさいと言われます。また、もし誰かが「なぜ、ほどくのか」と尋ねるなら「主がお入り用なのです」と答えるようにと言われました。二人が行ってみると、主が言われた通りのことが起りました(ルカ19:30-34)。

二人は、最初、主が言われることを理解してはいませんでした。しかし、主の言葉だからと従った結果、ろばの子を主のもとに連れてくることができたのです。主は私たちの先におられて、私たちに必要なことをすでに用意されています。主を信じて従うとは、先に何が起こるのかを知ることはできなくとも、先に待っていて、恵みを与えようとしておられる主の御言葉に従うことです(創世記22:14イザヤ30:18)。

Ⅱ.主がお入り用なのです

主イエスは、救いの王としてろばの子に乗ってエルサレムに入られました。このことは、旧約聖書の預言が成就するためでした(ゼカリヤ9:9)。主は、力があり見栄えする馬を用いたのではなく、ろばの子を用いたのです。弟子たちは後に、自分たちの姿とろばの子とを重ね合わせたことでしょう。まだ子どもで何の役に立つのかと思えるようなろばの子に、ある時、ある人が遣わされて、「主がお入り用なのです」と告げられたと同じように、主が自分たちを必要としておられ、自分たちを用いようとしておられると知ったのです。

主は今も、最も良い時に、人を遣わして、主の御言葉を伝えるように備えてくださいます。語られた御言葉によって、主は人々と出会ってくださり、究極的な救いを与えてくださいます。さらには、主の働きのために、その人にしか結ぶことのできない実を永遠に残すために、用いてくださるのです(ヨハネ15:16)。弟子たちは、最初から主の御計画を知っていたわけではありませんでした。主の御言葉に従っていく中で、様々なことを体験して行きました。その体験の中で、主イエスの御心と神の救いの恵みを次第に教えられていくのです。今というこの時、「主がお入り用なのです」という招きに応えて、主イエスに従っていきましょう。

Ⅲ.まことの平和の王イエス

主イエスのエルサレム入城は、まことの平和を与える王として来られたことの預言の成就でした。神の御子である主イエスは、人々の究極的な救いのために、十字架で罪人の身代わりとなってご自身の命を捧げてくださいました。主イエスの十字架の贖いによって、私たちは罪の赦しを与えられ、父なる神と人との隔てが取り除かれてまことの平和に入れられたのです(エペソ2:14-16)。

人々は、主にあるまことの平和、救いを理解できませんでした。それは、パリサイ人などの宗教指導者たちの、「お弟子たちをしかってください」(ルカ19:39)との言葉に表れており、また、エルサレムの宮の状態にも表されていました(ルカ19:45-46)。しかし、主の御言葉の真実は、何ものによっても消し去ることはできません。主は「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」(ルカ19:40)と宣言されました。

主は、ご自身を信じて、主の御言葉に従って生きる者に、日々に語りかけてくださいます(黙示録3:20)。平和の王を迎えるために、私たちはまず、自ら悔い改め、神に立ち帰らなくてはなりません。御言葉が語られている時こそ、神の訪れの時です。今がどのような時である神を知って、神に立ち帰り、主イエスを平和の王として迎えましょう。

結 び

主イエスは、まことの救いと平和をあたえるために、世に来てくださいました。十字架の贖いによって、私たちに救いの道を備えてくださいました。さらに、救いという大切なわざのために、ろばの子を用いられました。私たちは、ろばの子のように、自分を見る時、弱くて小さな者としか思えないかも知れません。しかし、主はそのような私たちに対して、「主がお入り用なのです」と語ってくださっています。ろばの子のように、今、私が成し得る精一杯のことをさせて頂こうではありませんか。

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