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『今の時を知る』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ローマ13:8-14

はじめに

本日の聖書箇所から、今がどういう時であるかということを覚えて、クリスチャン生活の中心に「神の愛」を据えて生きるべきことを見てまいります。

Ⅰ.愛は律法を完全に守る

聖書は、「だれに対しても、何の借りもあってはいけません」(ローマ13:8)と命じています。その上で、「互いに愛し合う」ことについてだけは、借りを返し続けねばならないただ一つの例外であると教えています。主イエスの十字架に示された「神の愛」に報いることは誰にもできません。報いる唯一のことは、主の救いを頂くことです。その主イエスの救いを知らせること、これに勝る究極の愛はありません。「互いに愛し合う」とは、主イエスが愛してくださったその愛をもって共に歩み続けることです。

愛は律法を全うし完成させます(ローマ13:9)。それは、律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるからです(ガラテヤ5:14)。私たちは、主の十字架に示された愛を頂き、神の愛を行うものとして、主に感謝し、「互いに愛し合う」(ヨハネ13:34)という新しい戒めに生きようではありませんか。

Ⅱ.終わりの時にこそキリストを堅く信じる

主イエスは、世の終わりの前兆として、人々の愛が冷え、不法がはびこり、気象などにおいても異変が起こることを語られました(マタイ24章)。しかし、逆に言うならば、パウロがここで語っているように、「夜がふけて行く」ならば、「昼が近づく」ということ、すなわち、主の再臨する時がよりいっそう近づいているのです(ローマ13:12)。

聖書は、そのような終わりの時代に生きている私たちが、どのように生きて行くべきかを示しています。それは「主イエス・キリストを着なさい」(ローマ13:14)と勧めているように、主イエスを救い主として信じて受けいれることです(ガラテヤ3:27)。私たちは、「光の武具」であるキリストを生涯に渡って着続けようではありませんか(コロサイ3:9-10)。主は、私たちの主イエスによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励」もうではありませんか。私たちの労苦は、主にあってむだにはならないと聖書は約束しているからです(Ⅰコリント15:58)。

Ⅲ.御言葉と祈りによって目覚めていよう

聖書は、「眠りからさめるべき時刻がもう来ています」、「今は救いが私たちにもっと近づいている」と、主イエスの再臨が近づいていることを教えています(Ⅰペテロ4:7)。今、私たちは主イエスの再臨の時を待ち望む時代に生かされていることを覚えましょう。

「今の時を知る」とは、もうすでに始まってはいますが、まだ完成していない神の支配が主イエス・キリストの再臨によって完成するということを待ち望むということです。 ペンテコステの日以来、聖霊によって教会が誕生し世界に福音が宣べ伝えられ続けています。主の支配がすでに始まっていることを信じる時、私たちはいかに困難で最悪と思える状況にあっても、主に希望をもって歩み続けることができるのです。すでに主によって示された神の御国に、私たちは招き入れられ、主の恵みに満ち満ちた御手の中に生かされていることを感謝し、主の御名を誉めたたえましょう。主の御手にある限り、「これが道だ。これに歩め」(イザヤ30:21)と言う御言葉を聞き、祈る時に、聖霊は道を開き導いてくださるのですから。

結び

主イエスの十字架以外に、永遠の滅びからの救いはありません。主イエス・キリストを知らせるということ以上の愛はありません。主の救いを頂き、神の愛を知った私たちは、まだ主を知らない方々に、この救いの良き訪れを伝えましょう。今は、ますます罪がはびこり、人を主から遠ざけようとする時代です。このような時代であるからこそ、神の愛を知っているクリスチャンは、その神の愛を人々に知らせるため、目覚めて、主との交わりにますます生きて、世の光、地の塩としての働きをさせて頂きましょう。

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