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『主と共に集める者』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ4:43-54

はじめに

本日の聖書箇所から、主イエスによって、世に救いがもたらされ、聖霊によって神の国へと導かれる幸いな生活がすでに始まったことを再確認いたします。

Ⅰ.群衆の霊的盲目

群衆は、主イエスが口をきけなくする悪霊を追い出し、その人がものを言い始めたのを見て驚嘆しました(ルカ11:14)。それを見た人々の中には、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言う者がいました(ルカ11:15)。また、ある人は、イエスを試そうとして、「天からのしるし」を求めました(ルカ11:16)。

人々は、霊の存在を疑ってはいませんが、主イエスの力あるわざについて論じるだけで、主イエスを信じようとはしませんでした。偉大な神の力を目の当たりにしたにも関わらず、主イエスを信じることをせず疑ったのです。彼らの心の内には、自分たちに都合の良い、そして自分たちの方法によって、イエスが神か否かを判断するという、神を畏れないおごり高ぶりがあったからです。 

Ⅱ.主イエスの十字架の勝利によって

主イエスは、ご自身のわざを理解せず、批判する人々に、「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。」(ルカ11:17)と教えられました。この主の言葉は、単なる弁明ではなく「もっと強い者」が来てくださることのたとえにある通り(ルカ11:21-22)、私たちを罪と悪魔の支配から解放してくださるための戦いがあることを教えています。

主イエスは、私たちに先立って、十字架によって、全てのことにすでに勝利してくださいました。その勝利は、私たちの最大の敵であり恐れである死の力にさえ打ち勝ったものです。主によって、私たちは主の御支配の元に自由にされ、主との豊かな命の交わりに入れられ、主を賛美し、隣人に対する愛の言葉を与えられたのです。

私たちは以前は、主に不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活する者でした。しかし、主イエスの救いによって、罪赦され、新しいキリストの命に生きる者とされたのです(テトス3:3-5)。主の民とされた者は、今は聖霊がその者の内に住んでくださっています。感謝をもって主を誉め讃えつつ、主の救いの御業に仕える者とさせていただきましょう。

Ⅲ.常に主イエスと共に集めるものとされる

私たちが主の民となること、すなわち、主の「分捕り品」となるために、主イエスは十字架でご自身の命を捧げてくださいました。主イエスの救いは、今も変わることなく、信じる者に救いを与えます。主なる神の一方的な恵みによって、偉大な救いを頂いた私たちは、主に感謝すると共に、主のものとされ主の働きのために加わるように招きも受けています。私たちクリスチャンは、御国の前進のための戦いの傍観者であったり、神と世の間にあって中立の立場で居続けるということはできません(ルカ11:23)。神の御国の建設のため、また、福音宣教のために戦う者とされていることを覚え、主の働きに参加しましょう。御国の前進のための戦いは、血肉による戦いではありません。この戦いは、主イエスがすでに一人で戦われて勝利をしてくださったものです。ですから、私たちの戦いはすでに、主の十字架と復活という勝利に支えられていることを覚えましょう。

結び

主イエスがこの世に来てくださったことによって、この世に神の国が到来し、私たちは主によって一切の罪や悪しき者から解放され自由にされました。そして、私たちは主のものとされ、主の豊かな命に生きる者とされました。そればかりではなく、主の救いの恵みを、まだ主を知らない方々に伝える者として呼び出されました。「収穫は多いが、働き手が少ない。」(マタイ9:37)と主は言われました。私たちは収穫の主に願って働き人を起こして頂き、主と共に集める者として、主の御業に参加させて頂こうではありませんか。

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