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『神の奥義の管理者』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰコリント4:1-6

はじめに

本日は、主イエス・キリストにある忠実さについて見てまいります。

Ⅰ.人ではなく主のさばきに委ねよ

パウロは、コリントのクリスチャンたちに対して、人のさばきではなく、主ご自身のさばきこそ畏れるべきであると語ります(Ⅰコリント4:2-4)。それは、コリント教会に起こった党派争いの原因の一つが、人のさばきによって起こっていたからです。

世に生きる私たちは、常に、この世の価値基準に従って他者からの判定や判決を受けます。そのために、主の御言葉よりも人の目を意識してしまうことがあるでしょう。聖書は、私たちを本当にさばくお方は、主なる神であるとを教えています(Ⅰコリント4:3-4)。

自分がさばき手になることを止めて、主がさばいてくださることを受け入れる時、人と人とのさばき合いから自由にされ、「キリストのしもべ、また神の奥義の管理者」とされます。私たちは、人の評価を求めたり、人と自分を比べるのではなく、常に主からの報いと、主が与えてくださっている恵みに目を留めましょう。

Ⅱ.忠実な管理者となるために、高慢に注意せよ

コリントの教会の人々には、御霊の賜物が豊かに与えられていました。これらはみな、主なる神から頂いた賜物でした。それにも関わらず、自分たちが持っているものを誇って、聖書に「書かれていることを越え」(Ⅰコリント4:6)たり、自分を規準にして一方にくみし、他方に反対して高ぶっていたのです。このことは、教会の中に分裂や分派を生み出す原因の一つとなっていました。私たちクリスチャンは、常に、自分の救いの原点がどこから始まったのかを忘れてはいけません。や乏しさを覚えるなら、主に求め、主はその求めに応えてくださることを覚えましょう。

父なる神は、私たちの救いのために、ひとり子さえも惜しまずに十字架にかけられました。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、罪の赦しと新しい命の約束を頂きました。救いは神からの一方的な恵みによるもので、その恵みを覚える時、人をさばく高慢から解放されることを覚えましょう。

Ⅲ.忠実な管理者は、働きの結果を神に委ねる

パウロは、神の恵みによって、「神の奥義の管理者」とされました。管理者は、常に主人に忠実であることが求められます。主は、「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(黙示録2:10)と約束してくださいました。パウロは神の奥義の管理者として忠実に主イエスと十字架による贖いを宣べ伝えました。私たちクリスチャンも、主イエスのしもべとして、主の救いの恵みを伝えることを委ねられた管理者として生きる時、真のさばき主であるキリストに委ねて生きることができることを覚えましょう。

主イエス・キリストこそ、「その日」に私たちをさばかれるお方です。「主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます」(Ⅰコリント4:5)。どんなに自分を取り繕っても、主の目には本当の姿がはっきりと見えています。しかし、キリストは私たちの罪の贖いのために、身代わりとなって十字架で死んでくださいました。ですから、主を信じるものにとっては、「そのとき、神から各人に対する称賛が届く」喜びの時なのです。私たちが成し得る働きの結果を神に委ね、主の称賛を待ち望みながら、「その日」まで、信仰生活を歩み続けてまいりましょう。

結び

私たちクリスチャンは、神の奥義を委ねられた管理人です。主に召し出された忠実な管理人として、人ではなく主のさばきにゆだねましょう。持っている全ては、主があたえてくださったものであることを覚えて、高慢にならないように主の前に謙りましょう。そして、主に対して成した全ての働きの結果を、主に委ねてまいりましょう。

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