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『その名はイエス』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ1:18-25

はじめに

本日より、アドベント第三週になります。聖書から、幼子イエスの誕生について、ヨセフに告げられた主の御言葉を見てまいります。

Ⅰ.主の救いによって神の子とされる

主イエスの誕生は、父なる神が遙か昔から預言者たちを通して告げ知らせていた約束の成就でした(マタイ1:22)。このキリストの十字架による救いは、天地創造の初めから、父なる神が御計画されたことでした(エペソ1:4-5)。主イエスの十字架の贖いによって、主を信じる者は誰でも神の民、霊におけるイスラエルとされるのです。

旧約聖書の預言の通りに(イザヤ9:2)、御子イエスが私たちのところに来てくださったことによって、私たちクリスチャンは、以前は暗やみでしたが、いまは主にあって、光とさせて頂きました。ですから、光の子どもらしく歩もうではありませんか。「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」から(エペソ5:8-9)。

Ⅱ.ヨセフと共におられた主

聖書は、主イエスの誕生の初めに、夫ヨセフに訪れた現実を「その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった」(マタイ1:18)と記します。この時、全能の神の力を十分理解していなかったヨセフの最善策は、許嫁のマリヤを「内密に去らせようと決めた」(マタイ1:19)ことでした。

そのようなヨセフに、主の使いは「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」(マタイ1:20)と告げます。主が語られた御言葉は、ヨセフの最善策とは全く異なったものでした。しかし、彼は自分が心で決めたことではなく、「主の使いに命じられたとおりにして」、マリヤを妻として迎え入れました(マタイ1:24)。

ヨセフが主の言葉に聞き従ったのは、自分の今ある苦しみや悩みを、そのまま自分の人生の中に迎え入れたということです。ヨセフは主の語りかけによって、いまの苦しみや悩みのただ中に、主が共におられるということを知ったのです。

先の見えない、答えのないような困難や苦しみの中にこそ、主は私たちと共にいてくださるのです。人の力ではどうするこもできないことであっても、主は答えを与え、道のない所に道を作り、脱出の道を備えてくださることを覚えましょう(Ⅰコリント10:13)。さらには、私たちの歩みには、苦難や悩むことがなければ知ることのできない、また見つけることのできない主の深い御心があることを覚えましょう(詩篇119:67,71)。

Ⅲ.私たちと共におられる主イエス・キリスト

主イエスがマリヤに宿ってくださった時から、全人類の救いが具体的に始まりました。ヨセフは、主の使いの言われた通りに、生まれた子に「イエス」と名をつけました(マタイ1:21)。主イエスは「インマヌエル(神は私たちとともにおられる、という意味)」とも呼ばれるお方です。神が共にいてくださるとは、主を信じる者にとって全ての全てです。主が共にいてくださるなら、いかなる困難な状況にあっても、そこには主にある希望や恵み、平安があるからです。

主イエスは、私たちと共にいるために、この世に来てくださいました。罪人のただ中にあって、弱さの中にある人々、嘆きや苦しみ、不安の中に生きる人々と共に歩んでくださっています。主イエスの到来によって、罪の暗闇の中にいた私たちに、光が差し込んだのです。私たちは、罪赦され、新しく光の中を歩む者とされたことを感謝しましょう。

結び

私たち全ての救いのしるしとして、神の御子が世に遣わされ、人と同じくなって生まれてくださいました。主イエスは、その名の通り「救い主」であり、「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)」と呼ばれるお方です。十字架の贖いを完成された主イエスは、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束してくださいました。キリストの御降誕を待ち望むこの時、私たちはもう一度、主が共におられることを覚えましょう。

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