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『慈しみの約束、キリスト』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 エレミヤ33:14-18

はじめに

本日は、イエス・キリストのご降誕を待ち望むアドベント(待降節)第一週です。本日の聖書箇所から、救い主を待ち望む希望について、見てまいります。

Ⅰ.エレミヤに与えられた預言の言葉

預言者エレミヤの時代は、暗黒時代とも言える時でした。国は南北に分裂し、北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、南ユダはバビロンによって、王も指導者も捕虜としてバビロンに連れて行かれました。これらのことは、すべてイスラエルの主なる神に対する背信から起こった事でした。

偽預言者たちは、エルサレムに神殿がある限り、神はイスラエルを守ってくださると語り、バビロンに立ち向かうように告げました。この言葉は、人々にはいかにも信仰的であり勇ましい言葉として聞こえの良いものでした。しかし、いくら良く思える言葉でも、神からの御言葉ではないので、成就するどころか、事態をますます悪化させました。

エレミヤが神から頂いた御言葉は、バビロンに立ち向かうのではなく、神に対する背きの罪の報いを受けるべきであるということでした(エレミヤ29:4-14)。これは、人々には耐え難い不快な言葉でした。そのため、エレミヤは捕まえられ、「監視の庭」に閉じ込められました。エレミヤにとって、神からの言葉を語るのは、命がけのことでした。

神の御言葉は、人の思いや考えで押し止めることはできません。しかも、例え耐え難い裁きの言葉であっても、御言葉は人を悔い改めに導き、主との豊かな命の内に回復を与える言葉です。神の御言葉に常に聞いて、御言葉に従う幸いを頂きましょう(Ⅰサムエル15:22)。そして、大胆に主の御言葉を宣べ伝えて行きましょう。

Ⅱ.希望を与える御言葉

主は裁きを宣告し、人々の罪を責めました。しかし、同時に、罪を赦し、ユダとイスラエルの繁栄を元どおりにするという約束を語り、将来への希望も語ってくださいました(エレミヤ33:1-13)。その回復とは、単に政治的、経済的なものだけではなく、霊的なものでした。

さらに神は、「主は私たちの正義」と呼ばれる救い主をダビデ王の家系の中から起こし、人々を神の国へと導くと預言されました。この救い主は、究極的には主イエス・キリストのことです。主イエスは、ユダヤ人だけではなく、あらゆる時代の全ての国の人々の救い主、王の王です。主イエスは、人々を罪の奴隷状態から解放し、ご自分の民として、その先頭に立って導いてくださいます。

イスラエルの民は預言者エレミヤを通して語られた主の御言葉によって希望を与えられ、主を待ち望み捕囚から解放され、祖国に帰還するという預言の成就を見ました。現代の私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、罪赦され、神の民とされていることを覚え、主に感謝しましょう。また、いかなる困難や苦しみの中にあっても、主が御言葉と聖霊によって、私たちを励まし支えてくださることを覚えましょう。

Ⅲ.主が再び来られる日

預言者エレミヤは、「その日が来る」と回復の預言しました(エレミヤ33:14)。それはバビロン捕囚からの解放の日、ユダヤ人にとっての救いの日のことです。しかし、もっと大きな視点に立つならば、全ての人の救いの日を示しています。

父なる神は、罪人を救うために、ひとり子イエスを世に遣わされました。私たちにとって「その日」とは、主イエスが人となって世にお生まれになった日のことです。主イエスの十字架の贖いの日から、私たちには罪から解放され、キリストの復活の命に豊かに生きる恵みの時が始まっています。

主イエスは、再びこの世に帰ってこられることを約束されました(マタイ26:24)。私たちは、いつ主が帰ってこられても良いように、目を覚まして「その日」に備えてまいりましょう(マタイ24:46)。

結び

預言者エレミヤは、主の約束である補囚からの解放の時があることを告げ知らせました。イスラエルの民は、希望をもって70年間主を待ち望み、捕囚から解放され、エルサレムに再び神殿を再建するという主の恵みを与えられました。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、罪の赦しと永遠の命に生きるという神の偉大な恵みを頂きました。主イエスの復活の命に生かされ、聖霊に導かれて歩んでまいりましょう。

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