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『告げ知らされた福音』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰペテロ1:3-12

はじめに

本日の聖書箇所から、すでに語られ知らされた神の福音によって、私たちは恵みを受けて、主の豊かな命に生かされていることをもう一度見てまいります。

Ⅰ.神は救いのために御子をさえ与えてくださった

ペテロは、迫害や困難の中にあるクリスチャンたちを励まします。その内容は先ず、クリスチャンは、主イエスの十字架の贖いによって、罪赦され、主の復活の新しい命に生きる者とされ、「生ける望みを持つように」されたことです(Ⅰペテロ1:3)。次は、「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐ」者にされたということです(Ⅰペテロ1:4)。

これらは、終わりの時にだけ与えられるものではありません。主は、世の終わりまで私たちを放っておかれるお方ではありません。主の御力は、信仰によって、今もうすでに私たちに働いています。私たちの救いのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに十字架の死に渡された父なる神は、御子といっしょに全てのものを、私たちに恵んでくださらないことはないのです(ローマ8:32)。昔も、今も、そしてこれからも変わることのない主は、その御言葉をもって、聞き従う者に命と溢れる恵みを与えてくださることを感謝しましょう。

Ⅱ.主イエスを見ないで信じる者は幸いです

私たちは、救い主イエスを再臨の時まで、肉眼で見ることはできません。ペテロは、主イエスと共に生活していた時、明確には救い主とは理解していませんでした。それは、主イエスが捕らえられた時、イエスを「知らない」と三度も断言したこと(マタイ26:69-75)などに表されています。

弟子たちは、復活の主に出会い、ペンテコステの日に、約束の聖霊を受けて後、明確に主イエスを救い主と信じたのです。私たちも、主イエス・キリストを見たことはありません。しかし、聖霊は私たちの内に住んでくださり、霊の目、霊の耳を開いて、見たことのないキリストを現実として知り、体験させてくださいます。故に、私たちは主イエス・キリストを心から愛し、主と共に生きる喜びに満たされているのです(Ⅰペテロ1:8)。

主イエスは、「見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29)と語られました。信仰によって、御言葉に聞き従う時、主に祈る時、主イエスは私たちと共におられます。インマヌエルの主は、二人でも三人でも、主の御名において集まる所におられると約束されたのですから(マタイ18:20)。

Ⅲ.預言者たちも知りたいと願った福音

神の救いについては、「預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べ」たことでした(Ⅰペテロ1:10)。ここでの預言者とは、旧約聖書の父祖たち、祭司たちや王たちなども含まれます。すなわち、旧約聖書に登場する全ての人たちが、キリストによる救いを探し求め、注意深く調べたのです。

ここで、預言者たちは自分の考えや経験によって、救い主を見出したのではありません。彼らに救い主を指し示したのは、彼らの内に働いているキリストの霊、すなわち、聖霊でした。キリストによる救いは、神ご自身が示してくださらなければ知り得ない事柄なのです。

預言者たちに、聖霊が証しされたことは、「キリストの苦難とそれに続く栄光」でした。主イエス・キリストによる救いを探し求めるということは、キリストの十字架の苦難と死、そして、死からの復活について知ることです。この十字架の贖いと、死からの復活こそが、私たちすべての者にとっての良き知らせです。この福音によって救いを受けた私たちは、救いの恵みを宣べ伝えて行こうではありませんか。

結び

全ての人に告げ知らされた良き知らせとは、イエス・キリストの十字架による贖いと、死に打ち勝ってくださったしるしである主イエスの復活です。旧約聖書の預言者たちは、その救いを見たいと切に願ったのでした。私たちは今、主が十字架で救いを完成してくださった、大いなる恵みの時代に生かされていることを感謝しましょう。そして、この救いの恵みを頂き、さらに、この救いの恵みを隣人に知らせて行きましょう(Ⅱテモテ4:2)。

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