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『三流クリスチャンになろう』

説教:山城晴夫 名誉牧師
聖書箇所 ヨハネ7:38

キリストは仮庵の祭りの最後の日に大声で叫んで言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、その心の奥底から生ける川の水が流れ出るようになる」と言われた。そこで生ける川の流れについて考えよう。三流の意味は「ランク」ではなく、文字通り「流れ」のことである。

Ⅰ.汗を流す(生活の祝福)

ルツ記はベツレヘムに住むエリメレク一家について語っている。この家庭はクリスチャンホームを語っている。エリメレクは「主はわが王」という意味であり、妻ナオミは「楽しい」ふたりの息子はマロン「歌」キルヨン「欠けるものはない」という意味である。この一家の平和を乱すことが起こる。それはベツレヘム(パンの家)に皮肉にも飢饉が襲ったことである。彼らはモアブの地へ逃れ、ふたりの息子たちはそれぞれ、モアブの娘を娶る。エリメレクと息子たちも死んで、ナオミとふたりの嫁だけが残される。ナオミの勧めでひとりは家に帰るが、ルツはナオミとともにベツレヘムにやって来る。彼女は朝から夕まで落穂拾いをして汗を流す。神は彼女の汗を見られ、ボアズの畑に導かれ、ボアズの親切を受け、やがて彼と結婚する。彼らのひ孫にダピデが生まれ、その子孫からキリストが出られる。(マタイ1:5,6) 置かれたところで汗を流すとき、神は想像することも出来ない祝福に導かれる。(Iコリント2:9)

Ⅱ.涙を流す(祈りの祝福)

自分のために涙を流すことは多いが、人のために涙を流すことは少ない。たとえば、みことぱを語っても、とりなしの祈りがないと信仰の芽を出さない。詩篇126:5,6にも「涙とともに種を蒔く者は喜びとともに刈り取る」と書かれている。涙とは祈りである。キリストはエルサレムの都を見て涙を流され、ラザロの墓の前で涙を流された。地上におられたとき、キリストは大いなる叫びと涙をもって父に祈られた。(ヘブル5:7) パウロも涙をもって主に仕えた。使徒20:19 聖書は「祈らないことは罪である」と教えている。Ⅰサムエル12:23

Ⅲ.恵みを流す(証しの祝福)

受けた恵みは流さないと、死んでしまうが、流すとまた、新しい恵みが流れて来る。パレスチナ地方には対照的な二つの湖がある。ガリラヤ湖と死海である。ガリラヤ湖はヘルモン山のふもとから流れて来る水を受けて、ヨルダン川へ流している。そこは豊かな漁場となっているが、一方、死海はヨルダン川から流れて来る水を受けるが流すところがないために、文字通り、死んだ海となって生物は生息しない。アウガスチンは「証しをしないのは罪である」と言っている。

汗を流し、涙を流し、恵みを流す三流クリスチャンとなろう。その時にこそ一流クリスチャンになれるのである。

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