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『神の国とは』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ガラテヤ1:6-12

はじめに

本日の聖書箇所から、神の国は、私たちの中で、小さく始まって大きく増え広がって行くものであるということを見てまいります。

Ⅰ.主の大いなる喜び

主イエスは、ある会堂で十八年も病で苦しむ女性を癒やされました。この主のわざに対して、会堂管理者は安息日であったことを理由に憤りました。主は会堂管理者の心根にあるものを見抜いて、彼を「偽善者」と言われました(ルカ13:15)。

会堂管理者は、律法にある安息日の真の意味を理解していなかったのです。律法の真髄は、神の愛です。主の御心は、あわれみであっていけにえではありません(マタイ12:7)。主は、目の前で痛み苦しむものを「今」解放し、平安を与えられるお方です。

会堂管理者たちは、主の言葉を聞いて、愛をないがしろにして自分の正しさを押し通そうとしたことを恥じ入りました。そして、そこにいた人々の内には、主の偉大なわざの故に、大きな喜びが広がりました(ルカ13:17)。主の愛は、その御言葉に聞き従う者たちの内に大きな喜びをもたらし、さらには、それが隣人に広がって行きます。主の素晴らしい良き知らせは、私たちの隣人にも伝えてられて行く喜びであることを覚えましょう。

Ⅱ.罪からの解放

主イエスがこの女性に与えた癒しと解放は、神の支配の始まりを表しています。また、女性が、病の霊につかれている姿は、罪に縛られているこの世の姿を象徴しています。長い間腰が曲がっていたため、目の前の人を見ることができないばかりか、天を仰ぐことすらできなくなっている姿は、世の罪人の姿そのものです。しかし、主イエスによって病から解放された女性のように、主は私たちを罪から解放してくだいます。主イエスは、ご自身の十字架の死と復活を通して、癒しと解放を私たち主を信じる者に与えてくださいました。

私たちは今、主イエスの十字架の贖いによって、罪赦され礼拝の民とされました。私たちが今見ているものは、まだ小さなからし種のようなものでしかないかもしれません。しかし、主のみわざはやがて拡大し、完成へと導かれることを覚えましょう。主を信じた私たちは、隣にいる人々に主イエスの救いの良き知らせを伝えてまいりましょう。

Ⅲ.小さい私たちを用いられる主

主がなされたみわざは、偉大な神の国の広がりの小さな始まりでしかありません。主は、たとえをもって、さらに神の支配は広がって行くことを語られました。一つは「からし種」のたとえで、小さな種が生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作るほどになるというものです。これは、神の国の外側の発展を示しており、福音が全世界に伝えられることを示しています。もう一つは「パン種」のたとえで、パン種がパン全体を膨らませるように、人の内に蒔かれた御言葉は、人に働いて神の真の命に生かすことを表しています。

主イエスによって始まった神の国の広がりは、主が再臨される時まで続きます。主を礼拝する安息日は、人のためにあるものです。私たちは、主と交わるために集まり、命の根源である主イエスから真の命とあらゆる善きものを頂くのです。父なる神が備えてくださった、御子イエスの十字架の贖いによる救いを感謝していただきましょう(ヘブル10:19)。私たちが主の招きに応える時、主の大いなる愛に報いることができることを覚えましょう。

結び

主イエスはたとえを用いて、神の国は、始まりは小さくてもやがて大きく広がっていくことを語られました。私たちは「からし種」や「パン種」のように小さな者です。しかし、主は私たちの小さな信仰を用いて、何倍にも大きくしてくださることを覚えましょう。神の国の担い手として召し集められたことを感謝しつつ、主に従い、主の恵みの器として用いて頂きましょう。

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