礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2015年礼拝メッセージ

『神から受けた福音』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ガラテヤ1:6-12

はじめに

本日の聖書箇所から、もう一度、キリストの福音こそが私たちを救い、生かすものであることを見てまいります。

Ⅰ.主の福音に堅く立つ

パウロは挨拶の後、直ちに本題に入り、「私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています」(ガラテヤ1:6)と書きました。それは、「他の福音」を語る人々が、ガラテヤ地方の教会に入り込んできて、クリスチャンたちを混乱させていたからです。

「ほかの福音」とは、もう一つ別に福音があるというものではありません。主イエスを信じるだけでは救いは不十分で、ユダヤ教に従って律法や言い伝えを守らなければ完全な救いは得られないという教えでした。

キリストによる救いは、人の努力や何かを行ったなら救われると言うものではありません。救いは、私たち人間に対する主の一方的な恵みによるものであり、主イエスの十字架の救いを信じることによってのみ救われるのです(使徒4:12)。私たちを召してくださった主イエス・キリストから、常に目を離さず、神の御言葉に堅く立って、主と共に歩んでまいりましょう(ヘブル12:2)。福音こそが、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です(ローマ1:16)。

Ⅱ.神が啓示された福音

パウロ自身も、主イエスを信じる以前は、厳格なユダヤ教徒でした(ガラテヤ1:13-14)。ですから、彼は、ユダヤ主義的な背景を持ったクリスチャンたちとの摩擦を避けるために、十分配慮することはできたと考えられます。しかし、彼はその様な人々に対して、取り入ろうとしたり、人の歓心を買おうとはしませんでした。むしろ、誰であっても、キリストの福音に反することを語ったり教えたりするものは「のろわれるべきである」と厳しく語りました(ガラテヤ1:8-9)。それは、人が救われるのは、福音による以外にないからです。すなわち、御子イエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちは罪赦され、義とされ、永遠の命を頂くことができるからです。

パウロは人に喜ばれたり、人の歓心を得ようとして、福音を語ったり、福音に混ぜ物をすることはしませんでした(Ⅱコリント2:17)。私たちはいま、誰を見ているでしょうか。人の顔色を見るのではなく、主に喜ばれることを見て、キリストのしもべに徹して行こうではありませんか。全ての善きもの、永遠の命を与えてくださるのは主なる神だけです。

Ⅲ.福音を宣べ伝えよう

パウロは、自分が伝えている福音は、「ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです」と語りました(ガラテヤ1:11-12)。それまで、熱心なユダヤ教徒の学者で、神の教会を激しく迫害していたパウロでした。しかし、主はそんなパウロにみずからを示してくださり、主を信じる者としてくださいました。そればかりでなく、福音を伝えるしもべとして召してくださいました(使徒9:15-16)。さらには、主の救いは「生まれたときから」の選びによるものであり、恵みをもって召してくださったことを記しています。

パウロが受けた啓示は、突然与えられたというようなものではなく、実は、旧約聖書ですでに明らかにされていたことでした。パウロは、この主から受けた啓示である福音を、異邦人(ユダヤ人以外の人々)に宣べ伝えたのです。この福音は世代を超えて、次々と語り伝えられてきました。今に至って、私たちはこの福音を聞いて、主イエスを知り、主の救いを頂きました。福音は何時の時代においても、人を救う唯一のお方であるイエス・キリストを示しています。唯一人の救い主である、イエス・キリストを私たちも伝えて行きましょう(Ⅱテモテ4:2)。

結び

主イエス・キリストは、私たちの永遠の救い主であり、教会の拠り所は、主の他にはありません。時代を経ても、主なる神は変わることはなく、キリストの福音だけが、罪人を救い、信じる者たちを導き生かしてくださいます。教会は、このキリストの福音を信じて語り続けてきました。そして、これからも福音を語り続けます。私たちは、命の基である主イエスに仕える者として、福音を語り続けてまいりましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分