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『日々新たにされて』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 Ⅱコリント4:7-18

はじめに

本日の聖書箇所から、キリストの救いを頂いた私たちに与えられている、外なる人は衰えても、内なる人は主によって日々新たにされる幸いについて見てまいります。

Ⅰ.永遠の命という偉大な望みの故に

主イエスを信じて新しくされたクリスチャンも、「外なる人」である肉体は、年と共に衰えて行きます。しかし、「内なる人」は日ごとに新しくされ、希望に溢れて生きる者とされました。それは、「土の器」にたとえられている弱い私たちの内に、神の栄光に満ちた偉大な「宝」である主が共に居てくださるからです。

よみがえられた主は、私たちも再臨の時に復活させ、父なる神の御前に立つようにしてくださいます(Ⅱコリント4:14)。復活と永遠の命こそ、私たちクリスチャンの究極的な希望です。この偉大な望みがある故に、クリスチャンは、「四方八方から苦しめられ」「途方にくれ」「迫害され」「倒される」にもかかわらず、「窮すること」も、「行きづまること」も、「見捨てられること」も、「滅びること」もない者とされていることを覚えましょう(Ⅱコリント4:8-9)。ハレルヤ!

Ⅱ.内なる人を新たにされる

「外なる人」とは、単に肉体のことだけではなく、私たちの心、精神のことも含んでいます。時に、私たちは体も心も弱ってしまいます。しかし、主なる神は、いかなる時も私たちを決して見捨てはしません。主は、私たちの名を呼んで贖ってくださり、私たちを神の民としてくださったからです(イザヤ43:1-3)。

ダビデ王はその晩年に、「敵」と呼ぶ相手に命をねらわれるという状況に追い込まれました(詩篇71:9-10)。目の前にある現実は、実に厳しいものでしたが、主のもとには救いと解決があると信じて、ひたすら主を待ち望み勝利を頂きました。

パウロもまた、いかなる厳しい状況にあっても、イエス・キリストの愛から、私を引き離すものはないと断言しました(ローマ8:38-39)。それは、彼が十字架の贖いが、いかに偉大なものであるかを知っていたからです。

ダビデもパウロも、見える現実は人の手には負えない絶望的な状況にありました。しかし、彼らの「内なる人」は主の救いによって信仰を与えられ、目に見える状況に左右されずに、主に望みをおいていたのです。私たちも、主イエスの救いを頂いた者として、主に期待して行こうではありませんか。それが、内なる人を日々に新しくされる者の姿であることを覚えましょう。

Ⅲ.見えるものにではなく

私たちの「内なる人」に与えられた祝福とは、イエス・キリストです。私たちは主と向き合い、主と親しく交わることを許されています。ダビデは、自分が生まれた時から支えてくださっている神と、親しく語り合う交わりの時を持ち、それを常日頃の習慣としていました(詩篇71:6)。また、パウロは、主の偉大な救いを知った故に、「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらします」(Ⅱコリント4:17)と告白することができました。主イエスの十字架による贖いによって、私たちは神の子とされ、父なる神を「アバ。父よ」と呼ぶ特権を与えられたことを感謝しましょう。

私たちは、毎日、どんな時でも神との親しい交わりに生きる者とされました。その恵みに応えて、主との交わりをいっそう深くさせて頂こうではありませんか。この世の一時的に見えるものにではなく、目には見えなくても、主なる神に信頼する幸いを頂いたことを覚えましょう。

結び

私たちは土の器にすぎませんが、神の測り知れない力によって、主ご自身が私たちの内に住んでくださるという恵みを頂きました。外なる人が衰えて様々な不安が襲ってきても、内なる人は主によって新たにされて、主を信頼する信仰へと導かれます。一時的なこの世のものに目を注ぐのではなく、生けるキリストに目を向け、天の御国に望みをおいて、日々新しく生きる者とさせて頂きましょう。そのために主イエスをなお深く知り、主との交わりの親しんでまいりましょう。

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