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『平和をつくる者』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 マタイ5:9

はじめに

本日は、主イエスが語られる「平和」とは何か、また、「平和をつくる者」とはどのような人かを見てまいります。

Ⅰ.平和は、主なる神との正しい関係のこと

聖書では、「平和(シャローム)」とは、争いや戦争がないというだけではなく、神と人とが正しい関係にあることを示しています。すべての人は、神から迷い出ているために、神との平和を失い、神に敵対するものとなってしまったと教えています(ローマ3:10-18)。

父なる神は、私たちの罪を赦し、神の平和を与えるために、御子イエスを世に遣わしてくださいました。御子イエスの十字架の贖いは、神と人との隔ての壁を打ち壊し、神と共に生きる平和を与えてくださいました(エペソ2:14-15)。

主イエスを心に迎え入れて共に生きるなら、真の平和をいただくことができます。主イエス御自身は平和であり、私たちはこのお方によって、神との平和を頂いたことを感謝しましょう(ローマ5:1)。

Ⅱ.平和をつくる者

主イエスは、「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」と語られました。主イエスが幸いと言われた人々は、単に平和を望むというだけではなく、積極的に平和をつくり出す人たちのことです。ここで言う「平和」とは、神によってもたらされる平和のことです。ですから、「平和をつくる」ためには、まず主イエスを信じることです。そして、主イエスを信じる者は、神の子と呼ばれます。

主イエスは、平和を失ってしまった私たちの所に来てくださり、平和を築いてくださいました。主イエスは、当時の権力者たちや宗教指導者たちにではなく、主イエスに従って来た弟子たちや群衆に対して「平和」をつくる者であるようにと語られたのです。それは、真の平和は、人の権力や能力によってつくられるのではなく、神がつくられるからです。

私たちは、心の貧しい者、悲しむ者、義に飢え渇く者でしかありません。しかし、主イエスの救いを頂き、神との平和を頂き、柔和で、憐れみ深く、心きよい者とされました。主が与える平和は、人の内にとどまるだけのものではなく、突き抜けて、他の人々にも影響を与える偉大なものです。平和そのものであられる主イエス・キリストを受け入れ、主と共に歩むなら、そこにキリストの平和をつくる者とされることを覚えましょう。

Ⅲ.平和をつくる者の働き

私たちクリスチャンは、平和をつくる者として、使命が与えられています。まず、主との平和を失っている人々に、主イエスを証しし、神との平和に人を導くということです(Ⅱコリント5:18)。平和そのものであられる主イエスを受け入れることなしに、真の平和を築くことは有り得ないからです。

次に、人との関係において平和をつくるということです(マタイ5:43-44)。主イエスがつくられた平和は、私たちが考え、つくろうとするものとは全く違いました。それは、敵対する者の敵意をご自分の身に引き受け、十字架によって死ぬことによるものでした。しかも、その十字架の上で、敵をのろうのではなく、赦しを執り成したのです(ルカ23:34)。私たちは、主イエスの姿から、罪を赦された者であると知るときに、隣人との関係を新しくされます。人間関係を壊す要因は、人の罪に因ります。罪は、キリストの十字架によって滅ぼされ、神から頂いた愛にとって代わったことを覚え(ガラテヤ2:20)、主の平和をもって兄弟姉妹との交わりに生きて行きましょう。

結び

「平和をつくる」ことは、神の御心に従ってこそ、実現します。それは、主イエスこそが、平和の王だからです。一人一人が心に主イエスを迎え入れるなら、その人は神の子とされ、キリストに似る者と成長させていただけるのです。内に平和がつくられ、「神の子」と呼ばれるのです。主が罪人である私たちを愛して、赦してくださったという恵みを知る時、私たちが神の平和をもたらす者として用いられる第一歩が始まることを覚えましょう。

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