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『神にある平安』

説教:髙橋正人牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、主がエレミヤを通して、バビロン捕囚となった全ての人々に語られた命令と、将来と希望を与えるという約束を見てまいります。

Ⅰ.いま置かれているところで祝福を祈れ

エレミヤが主から託された言葉は、バビロン捕囚は主の計画であり、その地に定住し、繁栄を祈ることを命じたものでした。彼の預言の言葉は、自分たちの意思とは反対に、捕囚の民として連行された人々には受け入れがたいものでした。そればかりか、敵の繁栄を祈ることなど、以ての外のように思えました。

主が命じられた、捕囚の町の繁栄を求め祈ることは、実は、民自身の繁栄になることでした(エレミヤ29:7)。全てをご存じで、あらゆる事を司っておられる主にとっては、幸いも災いも、すべて主ご自身の許しの中にあるからです。

私たちの歩みには、自分の期待とは全く反対に、思いもしなかった働きをせざるを得ないことがあります。しかし、それは主の許しの中にあることであり、そのことを通して、将来と希望を与えようとしておられる主の御心を私たちは知るのです。今置かれた所で最善のことを行い、祝福と繁栄を主に祈ろうではありませんか。

Ⅱ.真の平安と希望を与える神

エレミヤは、偽預言者や占い師の言葉に惑わされてはならないと警告しています(エレミヤ29:8)。そして、主に希望を置くようにと告げます。主は「わたし」という言葉を強調しながら、主が立てられた御計画を必ず果たすと宣言されています(エレミヤ29:10-11)。長い年月を経たとしても、平安と共に、常に将来と希望を与えてくださる主の約束は変わることはありません。

私たちに真の希望を与えるのは、主なる神です。この後、全ての人が神に近づくことができるようにと、主の王国を実現するひとりの人が遣わされることが示されます(エレミヤ30:21)。それは、イエス・キリストであり、主の十字架の贖いによって、私たちに神の民とされる特権が与えられたのです。この主イエスの救いによって、私たちは永遠の神の御国を目指して、毎日の信仰生活を主と共に歩み、平安の内に、希望を持って営んでいけることを感謝してまいりましょう。

Ⅲ.主イエスは私たちの平和の王

私たちに真の平安を与えてくださるお方は、主イエス・キリストです。主イエスは、平安そのものだからです。聖書で「平安」とは、「平和」と言い換えることができる言葉です。平和とは、積極的に相互関係が構築されている状態のことも意味していますから、真の「平和」とは、「私個人の平和」ではなく、「私たち共同体の平和」ということです。

主イエスは、十字架を通して、神と人との間にある隔ての壁を打ちこわし、御自身の命をもって、敵意を廃棄してくださいました(エペソ2:14-15)。私たちは、神に従うからこそ、「町の繁栄を求め」るために祈るようにと命じられた主に従うことができるのです。主が創造され、一人ひとりに命を与えて生かしておられることを知っているからこそ、キリストの心を自分の心として、全ての人の救いと平和のために祈り、行動することができることを覚えましょう(Ⅰテモテ2:4)。

結び

主は私たち一人ひとりに、平安と将来、そして希望を与えるという御計画を持っておられます。その神の御計画は、神の時に適って、神の方法で成し遂げられます。主は御自身の御計画を果たすために、人間の歴史の中に働かれ、ひとり子である主イエスをこの世に遣わされました。私たちは信仰をもって、主の御心がなるようにと祈って行動しましょう。主の御心が成されるところに、真の平和、平安があることを覚えましょう。

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