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『キリストを証言するもの』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ヨハネ5:31-47

はじめに

本日の聖書箇所から、主イエスが神の御子であるということを語られた証言について見てまいります。

Ⅰ.キリストを証言する者と主の御業

主イエスは、ユダヤ人たちの問いに対して、自分が真の神の御子であることを語られました。しかし、主は律法に従って(申命記19:15,18-19)、証人の重要さを語ります(ヨハネ5:31)。最初の証人として挙げたのは、洗礼者ヨハネです。

洗礼者ヨハネの証言は、彼が父なる神から遣わされた者だからこそ真実です。そして、何よりも主イエスが人々に示された力ある御業こそが、父なる神によって遣わされた神の子であることの証言です(ヨハネ5:36)。

ヨハネの証言や主イエスの行われた奇跡の目的は、人々の興味を集めるためではなく、目に見えない神の力と権威、そして何よりも神の愛を示すことにあります。父なる神は、罪のために永遠の滅びに向かっている人間を救うため、御子イエスを世に遣わされ、御自身の御心を示されました(ヨハネ3:16)。

Ⅱ.聖書(旧約聖書)の証言

次に、主イエスは聖書(旧約聖書)の証言について語られます。ユダヤ人は、聖書に忠実に生きようと努めてきました。このこと自体は、私たちも彼らにならうべきことです。しかし、大切な事は、聖書が指し示しているキリストを信じ、御言葉に実際に生きる者となるということです。主イエスは、「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)と語られました。主イエスこそ聖書が証しするまことの命であり、私たちに永遠の命を与えてくださる救い主です。

神の御子イエスは十字架の贖いによって、私たちに救いの道を備えてくださいました。私たちは今、神の言葉である聖書の御言葉を通して、父なる神を、そして、神が遣わされた御子イエスを知る者とさせていただいたことを感謝しましょう(ヨハネ17:3)。

Ⅲ.主イエスは、神の栄光を現された

主は、ユダヤ人が主イエスを救い主として受け入れられないのは、人からの「栄誉」に囚われているからだと指摘されました(ヨハネ5:44)。神よりも、人からの栄誉を求めてしまったために、絶えず人の目を気にしていたのです。私たちは、人ではなく、神の目にどの様に見えているのかに注目すべきです。神によって、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と語られていることを覚えましょう。

主は、「わたしは人からの栄誉は受けません」(ヨハネ5:41)と言われました。主イエスの栄光とは、罪人の身代わりに十字架にかかることでした。これは、人が一般的に考える栄光の姿とは全く逆の姿です。主イエスの十字架は、人の目には栄誉どころではなく、愚かな嘲るべきことにしか見えません。しかし、その愚かに見える十字架こそが、すべての人を救う最も輝かしい栄光を表すのです。主イエス・キリストの十字架こそが、私たちを愛し、救う、救い主の姿そのものであることを覚えましょう(Ⅰコリント1:18)。

結び

父なる神は、私たちが救いを頂いて、真の命に生き続けるために、御子イエスを世に遣わしてくださいました。それほどまでに、神は私たちを愛してくださったのです。主イエスを受け入れ、主のもとに留まり続けるために、神は遙か昔から聖書を与えてくださり、神を信じる者たちと常に歩んでくださっています。主イエスこそが、私たちの救い主です。

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