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『信仰の土台、キリスト』

説教:髙橋正人牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、建物の基礎となる土台が大事であるように、教会やキリスト者の信仰の土台は、イエス・キリストであるということを見てまいります。

Ⅰ.土台は主イエス・キリスト

使徒パウロは、コリントの教会のことを「神の建物」(Ⅰコリント3:9)とたとえて呼びました。教会とは、主イエスの救いの恵みにあずかり、神の民として生きる共同体のことであり、群れを構成する一人ひとりのことでもあります。その建物が堅く立つための信仰の土台を、「賢い建築家のように」据えたとパウロは言います(Ⅰコリント3:10)。

パウロが語る「土台」というのは、主イエスのことであり、それを「据えた」というのは、主の救いの良き訪れを宣べ伝えたということです。土台は見えませんが、見える部分である建物を支える最も大切なものであると同じように、キリスト者の信仰生活は、主イエスの救いが基になっています。

教会は、主を信じる信仰が土台となって建てられています(マタイ16:18)。また、キリスト者一人ひとりは、主イエスという土台の上に、それぞれに異なった人生という家を建てることを委ねられています。すでに据えられているキリストという土台の上に、私たちの人生を築き上げるなら、雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いて打ちつけても倒れないことを覚えましょう(マタイ7:24-25)。

Ⅱ.土台のうえにどのように建物を建てるかに注意しなさい

コリントの教会は、最初にパウロが土台を据え、後に、アポロなどが遣わされて、その土台の上に教会が築きあげられて行きました(Ⅰコリント3:6)。私たちも、先に据えられた土台に、どのように建物を建てるかが大切です。どのような材料で、また、どのような働きをもって建物を建てたのかは、「その日」(Ⅰコリント3:13)、すなわち、主の再臨の時にもたらされる火によって吟味されるからです。

「金、銀、宝石」によって建てるとは、高価で、永続する材料で建てることを意味しており、主の御言葉に従って生きることを示しています。逆に「木、草、わら」とは、燃えやすい材料のことで、この世のしばらくすると滅んでしまう人間的な考えや価値を基にする歩みのことを示しています。神の裁きは必ずあります。そのために、父なる神は、御子イエスを世に遣わしてくださり、十字架の贖いという救いを用意してくださったのです。

私たちが主イエスを信じる信仰の土台の上に建物を建てる時、主の御言葉によって建てるのか否かは、この世の終わりに明らかになります。主の救いを頂きましょう。主の御言葉である聖書を基にして、信仰生活を築いてまいりましょう(ヨハネ3:16)。

Ⅲ.聖霊が住まわれる宮

主イエスという土台の上に、主の御言葉に従って建てられた建物は、聖霊が住まわれる宮であり、神の神殿です(Ⅰコリント6:19)。そして、神の神殿は聖なるもので、信じる者は神殿ということができます(Ⅰコリント3:17)。

聖書でいう「聖」という意味には、神のものになるということが含まれています。ですから、主を信じる者は全て、神のものとされたのです。そして、神の宮とされた一人ひとりが、主イエスにあって、組み合わされた建物とされ、全体がますます成長し、主にある聖なる宮とされるのです(エペソ2:21)。教会は、その様に、主イエスを信じた者の群れであり、主は教会を通して一人ひとりに信仰を与え、また、信仰を成長させてくださいます。主イエスという土台の上に建てられている限り、主の救いは確かであり、揺るがないことを覚えましょう。

結び

主は私たちの救いのために、御子を十字架にかけてくださいました。私たちは、この主イエスという救いの土台の上に、自身の人生を、また、教会を築き上げて行く者とされたことを覚えましょう。主イエスによる救いという揺ぐことのない確かな土台の上に、主の御心にかなう建物を建てあげるために相応しい材料を見分け、この土台において互いに堅く結び合うことによって、神の建物である教会を建てあげて行きましょう。

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