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『主を待つ者』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ルカ12:35-48

はじめに

本日の聖書箇所で、終わりの日に備え、目を覚ましているようにと語られた、主イエスのたとえについて見てまいります。

Ⅰ.目をさましているところを見られるしもべたちのたとえ

主イエスは、「人の子は、思いがけない時に来る」(ルカ12:40)と語られましたが、これは主の再臨の日、すなわち、終わりの日のことです。終わりの日に備えるため、最初に、主イエスは、主人が婚宴から帰って来た時に、目をさましているところを見られるしもべたちのたとえを語ります。主人とは再臨のキリストで、主人の帰りを待っているしもべとは、クリスチャンのことを指しています。 主イエスが、目をさましているようにと命じられたのは、主の再臨の時、忠実に信仰生活を送っている者たちには主からの報いがあるからです(ルカ12:37)。また、主人が帰って来るのは、盗人が侵入するように(ルカ12:39)、いつなのか分らないからです。

主イエスの再臨は確かに起こることですが、その時がいつなのかは父なる神以外は誰も知る者はなく(マタイ24:36)、盗人のようにやって来ます(Ⅱペテロ3:10)。私たちは、御言葉に従って、いつ主が来られても良いように主を信じ、主の日に備えましょう。また、今は恵みの時、救いの時です。今日というこの日、主イエスを救い主として心に迎えましょう。

Ⅱ.忠実な賢い管理人のたとえ

もう一つのたとえは、「主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人」(ルカ12:42)です。この「管理人」とは、主人である神から賜物の管理を任されているクリスチャンのことです。

管理人は、主人が留守の時、主人に代わって委ねられたものを管理をする責務を与えられています。ですから、管理人に求められていることは、主人に対する忠実さと賢さです(ルカ12:48)。

私たちは皆、以前は罪人であり、神に逆らう者でした。しかし、主なる神は、御子イエスの十字架の贖いによって、罪の赦しを全ての人に与えてくださいました。そればかりではなく、主は全ての人に、賜物を与え、使命を与えてくださいました。主の恵みの良い管理者として、私たちは賜物を用い合い、互いに仕え合い、主の栄光を表しましょう(Ⅰペテロ4:10)。

Ⅲ.目を覚まして生きる

終わりの日とは、主イエスが再臨される日の事ばかりではなく、全ての人の個人的な終わりのことも示しています(ヘブル9:27)。私たちは、毎日の生活の中で、真の主人である神と相見える時を、期待と望みをもって待つのです。終わりの日があることを知ることによって、私たちはこの世の出来事が全て過ぎ去るものでしかないことを知り、主の憐れみに生きる幸いを感謝するのです(Ⅰペテロ1:24-25)。

今は救いの日、恵みの時です(Ⅱコリント6:2)。しかし、主の再臨の日は、すべてが完成される日として、将来必ずやって来ます。その時、救いの扉が閉じられます。今日というこの恵みの日に、私たちは、婚礼から帰ってきた主人のために、すぐに戸をあけられるように、目を覚まして、終わりの日に備えて、ますます主を信じる信仰に励みましょう。

結び

主の再臨の時とは、主イエスが、私たちの真の主人として、王の王として、帰ってこられる時のことです。救いを頂いた私たちは、父なる神が、御子イエスを十字架にかけたほどに真に憐れみ深く、愛に満ち満ちておられるお方であることをを知っています。それならば、恐れることなく、喜んで、主が来られたならば、直ちに戸をあけてお迎えすることができるように、目を覚まして主を待ち望んで行きましょう。

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