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『良い地にまかれた種』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 マタイ13:18-23

はじめに

本日の聖書箇所から、主イエスが語られた種まきのたとえの解き明かしを見てまいります。

Ⅰ.天の御国の奥義を知るさいわい

主イエスは、天の御国の奥義(主の救い)について、たとえ話を用いて語られました。たとえは、難しい抽象的なことを分かり易くするために用いられるのが一般的です。しかし、主イエスは、預言者イザヤが遣わされて、御言葉を伝えた時のことを例に挙げて、今も、神の言葉を聞いても人々は理解せず、悔い改めようともしないことが起ることを示されたのです(イザヤ6:9-10)。

主イエスを見て、その言葉を聞いても、それを信じて受け入れるのではなければ、救いを頂くことはできません。神の言葉を聞いて理解するとは、知識として主を知るということ以上に、罪を悔い改めて主イエスが救い主であることを信じて、その救いをいただくことです。ですから、御言葉を聞く時には、聞いていることによく注意しなければなりません(マルコ4:24)。

Ⅱ.全ての人に蒔かれる御言葉の種

たとえには、道ばた、土の薄い岩地、いばらの中、そして、良い土地の四種類があり、それぞれ御言葉を聞く人の心の状態が示されています。種を蒔く者は、どんな土地にも蒔いたように、主は、どんな人にも、御言葉の種を蒔き続けていてくださいます。主は全ての人に御言葉を語り、救い主イエスを信じて、救われ、その人しか実らすことのできない、豊かな実を結ばせてくださるのです(ヨハネ15:16)。主が御言葉の種をまき続けてくださった故に、私たちは今、主を信じる者とされ、これからもさらに多くの実を結ぶために導かれていることを覚えましょう。主の救いを頂いたことを感謝しつつ、主の御言葉を宣べ伝える者とさせて頂きましょう。

Ⅲ.一粒の種、イエス・キリスト

主イエスは、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)と語られました。これは、御自身のことを一粒の麦としてたとえられ、十字架の身代わりの死が、信じる者に罪の赦しと永遠の命を与えることを語られたものです。

多くの人々に、福音の種が蒔かれました。種の中で根付き、芽を出すものは少ないかもしれません。弟子たちでさえ、主イエスに従う者となったのは、主が復活され、約束の聖霊をいただいた時でした。しかし、弟子たちの心に蒔かれ続けていた福音の種は、空しく地に落ちたのではありませんでした。無駄になる種があったとしても、種に命があり、豊かな実を結ぶように、御言葉は空しく地に落ちることはありません。主イエスに従って行った弟子たちは、主の御言葉を伝え、豊かな実を結んで行きました。父なる神は、ひとり子の命をも与えてくださるほどの熱心をもって、私たちを、御言葉のための良い地としてくださったことを覚え、ますます主に仕えてまいりましょう。

結び

イエス・キリストこそ、「多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかった」(マタイ13:17)お方です。今、私たちは、主イエスによって見聞きする幸いを与えられていることを感謝しましょう。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されている」といわれるさいわいを覚えて、主イエスの恵みに感謝し、豊かな実を結ばせて頂きましょう。

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