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『聖なる者となりなさい』

説教:髙橋正人牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、主の聖なる民とされた者が、神の民に相応しく歩むために与えられた律法を見てまいります。

Ⅰ.毎日の食事のように御言葉に養われる

主なる神は、この箇所でイスラエルの民に、きよいものと汚れているものについての細かい規定を告げています。ここに示されている規定は、主イエスが世に来てくださり、律法を全て成し遂げてくださって以来、必要の無いものとされました(マルコ7:18-19使徒10:9-16)。しかし、律法の本質は変わりません。

この律法は、当時のイスラエルの民に、毎日の食生活を通して、聖なる神を信じる信仰、すなわち、御言葉に従って生きることの大切さを示すためのものでした。神の民として生きる者は、自分が理解できることによって、主に従うか否かを決めるべきではありません。主のお言葉ですからと従う時、私たちは日々御言葉に養われて、「神の聖なる民」として生きることができることを覚えましょう。 

Ⅱ.聖なる者となりなさい

レビ記の中心は、主なる神が聖なる方であるから、その救いを受け、神の民とされた者も、聖なる者となりなさいということです(レビ11:44-45)。

ここで二度も主が「あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」(レビ11:44,45)と命じているのは、神の民イスラエルが、御言葉に従って生きる者となるべきことを願っておられるからです。

私たちは、主イエスを信じる信仰によって罪赦され、救われ、神の民とされるという新しい契約を頂いたのです。言い換えるなら、私たちは聖別され、聖なる者として生きるようにされたのです。私たちはこの恵みを覚えて、召してくださった聖なる主にならって、あらゆる行いにおいて聖なるものとされ(Ⅰペテロ1:15)、主と共に生きるものとされたことを感謝してまいりましょう。

Ⅲ.救いの完成を待ち望みつつ生きる

私たちが、聖なる者となって生きていくとは、神の御言葉に聞き従って生きると言うことです。決して自分勝手に、これが聖なる生活だと決めてはなりません。聖書は、「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」(Ⅰペテロ1:13)と励ましています。

主イエスが再臨される時、救いが完成します。その時に、キリストを待ち望む全ての者は、主イエスの偉大な栄光に預かるのです。それを「ひたすら待ち望」むことこそが、神の御言葉に従って生きている聖なる者の姿です。私たちは、この地上での歩みにおいて、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」いましょう。主イエスは、「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」ということを覚え、ますます、私たちも御言葉に従って歩んでまいりましょう(ヘブル12:2)。

結び

父なる神は、ひとり子イエスによって、私たちに御自分が聖なる方であることを示してくださいました。この聖なる神によって選ばれ、信仰を与えられ、救いの恵みを頂いた私たちは、聖なる者として生きる者とされました。私たちの信仰と希望とは神にかかっている(Ⅰペテロ1:21)ことを覚え、聖なる者とされたことを感謝し、主の御言葉に従って歩み続けて行きましょう。

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