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『新しい人を身に着る』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 エペソ4:17-24

はじめに

本日の聖書箇所から、クリスチャンの新しい歩みを見てまいります。

Ⅰ.古い人を脱ぎ捨てよ

聖書は、クリスチャンとなった者に、「異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません」と言っています。ここでの「異邦人」とは、キリストを信じる以前の人のことを意味しています。神を神ともせず、自分が神となって生活していた者は、神に敵対して、神の命から遠く離れていました(エペソ4:18-19)。しかし、主イエスの十字架の贖いによって、私たちに救いが与えられ、神の民とされ、新しいキリストの命に生きる者とされたのです(ローマ6:4)。

主に救われた者は、以前の異邦人のような生活ではなく、主イエスに倣う者として生活すべきです。主イエスが示してくださった歩みとは、「神の子として」、また「主の僕として」生きるということです。そのために、御言葉を頼りに、祈りをもって主との日々の交わりを第一にしてまいりましょう。

教会は、主イエスの十字架の救いを受け入れて、古い罪の人を脱ぎ捨てて神の子とされた者たちの群れです。新しいキリストの命に生きて、御言葉に聞き従って行く時、この世は、信仰の共同体である教会を通して、主が確かにおられることを知るようになるのです(ヨハネ13:35)。

Ⅱ.新しい人を身に着る

聖書は、主イエスを信じる者は「新しい人」になったと教えています(Ⅱコリント5:17)。ここでは、主イエスを信じて生まれ変わることを、「古い人を脱ぎ捨て」、「新しい人を身に着る」ことにたとえています。ここで大切なことは、それまでの古い罪の自分を「脱ぎ捨てる」ことです。

「古い人を脱ぎ捨て」るとは、主の前に自分の罪を認めて悔い改めることです。「新しい人を身に着る」とは、信仰によって主イエスを救い主として迎えることです。古い人を脱ぐことなしに、新しい人を着ることはできません。この「新しい人」とは、主イエス・キリストのことです。このキリストを着ることにより、古い罪の生活から解放され、「心の霊において新しくされ」るのです。人は、自分で新しく変わることは出来ません。ですから、主イエスは私たち罪人の身代わりとなって十字架にかかってくださったのです。ハレルヤ!

Ⅲ.キリストの身丈にまで成長する

新しい人を身に着るとは、心の底から主イエスと一つにされたということです。それは、以前に比べて、少しここが良くなったというような、部分的に改善されるようなものではなく、全てが新しくされたということです。全く新しくされたことの著しい変化は、主を礼拝する者とされたことにあります。

毎週の礼拝は、少しの時間だけの新しい習慣が加わったというようなことではありません。主に背を向け、敵対していた者が、喜んで主の御前に出て、主に向かって「アバ、父よ」と呼ぶようにされたことの信仰の表れです。さらに、キリストの新しい命に生きることは、日常の言動にも表れます。主イエスが示してくださったように、互いに愛し合い、徳を高め合い、神が主イエスにおいて私たちを赦してくださったように、互いに赦し合うようにさせていただいたのです。

私たちは、御言葉と祈りを通して主を知り、主との交わりに生きることが許されています。主なる神をますます知って、キリストの身丈にまで成長させて頂きましょう。

結び

「新しい人を身に着る」とは、キリストにあって新しい命に生まれ変わることです。だれでも主イエスを信じたなら、その人は救いを頂き、新しくキリストの命に生きる者とされます。キリストに似る者とされるために、御言葉によって主を知り、聖霊が新しい人にふさわしい歩みをさせてくださることを信じましょう。

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