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『主イエスはよみがえられた』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マルコ16:1-8

はじめに

イースターおめでとうございます。本日の聖書箇所から、主イエスが十字架で死からみがえられた週の初めの日のことを見てまいります。

Ⅰ.主イエスの復活

主イエスは、私たち罪人の身代わりとして十字架につけられ、墓に葬られました。しかし、死後三日目によみがえってくださいました。聖書には、婦人たちが、真っ先に復活の出来事を知らされた人々として記されています(マルコ16:1-2)。彼らは、墓の入り口にある大きな石の扉のことを心配しながら駆けつけました。しかし、石の扉は取り去られており、主イエスの遺体はなく、墓の中は空になっていました。

墓の入り口を塞ぐ石とは、生きている者と死んだ者との隔てを示す象徴です。その石がころがしてあり、墓は空になったということは、父なる神が、人を支配する死の力を根本的に打ち砕かれたことを教えています。

主イエスは、私たちと同じくなられて、世に来てくだいました。それ故に、人のすべての苦しみや悲しみを体験され、その上で、私たちの究極的な敵である死を滅ぼしてくださいました。「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル2:18)主イエスの救いを受け入れた者は、死に打ち勝つ主イエスの復活の命に生かされることを覚え、主に信頼してまいりましょう。

Ⅱ.主の復活の命に生きる

聖書は、主の復活の有様について、詳細は記していません。人間の理解を超えた神の救いの御業に接した人々に何が示され、その人々がどのように変えられていったかを教えています。

婦人たちは、熱心に主イエスに従い、主が墓に納められてもなお、主の遺体の傍にいたいと願っていました。しかし、いつまでも、主の遺体のそばに居続けてはなりません。それは、主との過去の交わりに留まり続けることであり、「生きている方を死人の中で捜す」(ルカ24:5)ことになってしまうからです。復活してくださった主は、十字架以前の関係ではなく、主と共に新しい命に生きるように導いてくださったことを覚えましょう。

私の人生の歩みを支配しているのは、死の力ではなく、確かに、主イエスを復活させてくださった神の命です。ハレルヤ!

Ⅲ.礼拝は、主が今も生きておられることの証しである

安息日が終わった週の初めの朝(日曜日)、墓に向かっていた婦人たちは、これまでの主イエスを思い起こしながら急いでいたことでしょう。しかし、婦人たちは、主が死者の中におられるのではなく、死を打ち破って永遠に生きておられ、すでに先に行かれていることを知らされます。そればかりではなく、その良き知らせを、弟子たちに伝えるように告げられます(マルコ16:6-7)。

教会は今に至るまで、この復活されたキリストを宣べ伝えてきました。このことは、主イエスの再臨の時まで語り続けられます。

キリスト教史における最古の信仰告白の言葉は「イエスは主である」(Ⅰコリント12:3)だと言われます。クリスチャンは、常に、今も生きておられる主としてイエスを伝え続けてきました。その証しが、毎週日曜日の礼拝です。週の初めの日に、主が復活してくださったからです。全てのクリスチャンは、このキリストの復活に大きな望みを抱いているのです(Ⅰコリント15:20)。過去の人ではなく、復活して今も、そして永遠に生きておられるイエス・キリストを信じましょう。

結び

主イエスは、私たちの罪のために十字架に身代わりとなって死んでくださいました。主が死んで葬られたように、主を受け入れる私たちもまた罪と死に対して葬られるのです。そして、主が死からよみがえられたように、私たちも新しくよみがえらせていただき、キリストの新しい命に生きるようにしていただいたのです(ローマ6:4)。私たちが主の命に豊かに生きるために、ひとり子イエスをさえ惜しまれなかった父なる神の愛を受け、主を心に受け入れ、従ってまいりまょう。

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