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『命の言葉について』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰヨハネ1:1-4

はじめに

本日の聖書箇所から、その豊かな交わりに生かしてくださっている「いのちのことば」である、主イエス・キリストについて見てまいります 。

1.永遠の初めから永遠の終わりまでおられる神

ヨハネは、「初めからあった」命の言葉が、私たちのうちに人となって現れてくださったこと、そして、自分たちはその御子を見て、その言葉を聞き、主イエスこそが救い主であることを知ったことを伝えます(Ⅰヨハネ1:3))。主イエスこそ、「いのちのことば」であり「永遠のいのち」です(Ⅰヨハネ1:2)。

主イエスは、今も生きていて、私たちと共におられるお方です。主イエスは、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束してくださいました。目には見えなくとも、主イエスは約束の通り、私たちと常に共におられることを覚えましょう。

2.私たちと交わりを持つようになるため

ヨハネがイエスについて伝えようとしている第一の目的は、「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるため」(Ⅰヨハネ1:3)です。この「あなたがた」というのは、すでに主イエスを信じ、永遠の命を頂いたクリスチャンたちのことです。ヨハネは、クリスチャンたちが互いに交わりを持つために、まず、主イエスについて語っています。教会の交わりは、主イエスを伝え、あかしすること(Ⅰヨハネ1:2)から生まれるからです。

主イエスは、クリスチャンたちに福音を伝える使命を与えられました(マタイ28:19-20マルコ16:15)。主イエスを宣べ伝え、あかしすることは、まだ主を信じていない人々に対するものと考えるかもしれません。しかし、すでに主イエスの救いに与った者たちも、互いに主をあかしし、恵みを分かち合うべきです。クリスチャンの交わりは、主の恵みを伝え、あかしする時にこそ生まれるからです。

クリスチャンが集まって楽しいことを共有すれば、そこに広い意味においての交わりは生まれるかもしれません。しかし、聖書が言う、厳密な意味での「交わり」とは、お互いが主の恵みを分かち合い、主イエスをあかしし合うことを指しています。主の御言葉に応答して、主の恵みを分かち合って行きましょう。そして、主が与えてくださった感謝と喜びを、それぞれの集いの中であかしして、真の主のある「交わり」をさせて頂こうではありませんか。

3.父なる神と御子イエスとの交わりを持つため

ヨハネが伝える第二の目的は、「御父および御子イエス・キリストとの交わり」を持つためです。主と「交わり」を持つことは必須ですが、その交わりをさらに深めるとき、神の御心を知り、主にかなった歩みをして、豊かな実を結ばせていただけるのです(コロサイ1:9-10)。主との交わりのために、毎週の礼拝に出席することは必須です。また、毎日聖書を読み、祈ることによって、神との交わり(デボーション)をすることも重要です。

さらに第三の目的について、ヨハネは「私たちの喜びが全きものとなるためです」(Ⅰヨハネ1:4)と語ります。これは、教会における「交わり」と、個人の「喜び」とが密接にかかわっていることを示しています。すなわち、信仰の共同体である教会の喜びは、そこに属するクリスチャン一人ひとりの喜びであり、その逆もまた真だからです。主を知った者が、主の恵みを互いに分かち合い、祈り合って行く時に、共に主の喜びを頂くことができることを覚えましょう。

まとめ

主イエスについて伝える時、そこに「主との交わり」、「人との交わり」、そして、「喜び」が生まれます。まだ主の救いを知らない人々に、福音を伝えることは主イエスが教会に委ねられた一大使命です。しかし、クリスチャン同士で主の恵みを分かち合い、あかしし合う中で真の交わりが生まれます。真の交わりは、一人ひとりの主との交わりを励まし、信仰を強めて行きます。また、真の交わりにおいては、いつも「喜び」が生まれます。それは、御言葉に命があり、御言葉に従う者に豊かな主の命が与えられるからです。命の言葉である主イエスを信じ、従って行きましょう。

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