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『御言葉のとおりに』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ5:1-11

はじめに

本日の聖書箇所から、ペテロが主イエスの御言葉に従ったことで頂いた恵みを見てまいります。

1.主イエスを信じる

主イエスは、ペテロの舟に乗り、沖から岸に向かって群衆に語られました。その後、主イエスはペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました(ルカ5:4)。一晩中漁をしても全く収穫がなかったペテロでしたが、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」と、主イエスの言葉に従いました。すると、網が破れそうになり他の舟の助けを必要とするほどの大漁となりました。それは、ガリラヤ湖で漁師をしていたペテロにとって、非常な驚きであり、畏れさえも抱くほどのことでした。

主イエスを信じて、共に歩む人生は、決して岸辺で空っぽの網を洗うような人生ではありません。御言葉に応答して行くとき、私たちも、ペテロが魚の網を引き上げた時に体験した確かな手応えを得るのです。すなわち、主なる神の存在を体感して、非常に大きな喜びや満足で満たされるのです。主の御言葉は、私たちの人生に意義を与え、目的を与えてくださり、私たちが右に行くにも左に行くにも、私たちの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言ってくださるのです(イザヤ30:21)。主の御言葉を聞いて信じましょう。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)。

2.主イエスを知る

ペテロは、主イエスの奇跡を体験して、主イエスは預言者以上のお方であり、ゲネサレ湖の一匹の魚さえもご存知であることを知ります。「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(ルカ5:8)。ペテロは、自分の目の前にいるお方が聖なる神であることを知って、神の前では、自分は罪人でしかないことを認め、へりくだって主なる神の前にひれ伏したのです。キリストを知るとは、ペテロが主を知って足もとにひれ伏したように、単に「キリストについて」の知識としてではなく、キリストをあなたと私という人格的な関わりにおいて知ることです。

初代教会時代、ペテロは主イエスの使徒として、福音を宣べ伝え、ローマで殉教したと伝えられています。それは、主イエスを知れば知るほど、キリストの恵みを覚えて喜びに満たされ、さらには、主に似る者と成長したからでした。私たちも、目には見えないけれども、今も生きて私たちと共におられる主イエスを信じ、「キリストを知る」ことにおいて益々成長して行きましょう。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。」(Ⅱペテロ3:18

3.主イエスの言葉に従う

漁師であったペテロは、漁について熟知していました。ですから、主イエスがペテロに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた時、それが漁には全く相応しくない時であることを十分に知っていました。しかし、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」と、主の言葉に従った結果、人の思いや経験を遙かに超えた主の偉大な業を見させて頂いたのです。主イエスを救い主と信じるということは、主の御言葉に従うことです。

主の御言葉は、人の目には常識とはまるでかけ離れていたり、愚かに見えます。しかし、御言葉は真実であり、主が語られたことは必ず成就するのです。ペテロのように、「でもおことばどおり」と言って主の言葉を受け入れ、従い、行おうではありませんか。主は御言葉に従う私たちの信仰を知ってくださって、私たちの願いや思いを遙かに超える素晴らしい主の栄光を見させてくださることを覚えましょう。主の御言葉を聞いて、従う者は幸いです。

まとめ

この「大漁」の奇跡の後、ペテロは「何もかも捨てて、イエスに従」いました(ルカ5:11)。それは、主イエスというお方を知って、この方にこそ真の命があり、主イエスのうちにこそ、「神の満ち満ちたご性質が形をとって宿って」、「知恵と知識との宝がすべて隠されている」ことを知ったからです(コロサイ2:3,9)。私たちも、私のために主イエスを受け入れるという信仰から、御言葉に従い、主のために自分自身をささげる信仰へと成長させて頂きましょう。

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