『召しと計画』
87周年になる神召教会の歴史の重さを覚えます。伝統は素晴らしいことですが、どこか、伝統に胡坐(あぐら)をかいてしまう危険性もあります。言葉を変えて言え ば、マンネリ化してしまうことです。そこで神召教会の合言葉として「古くて、新しい教会」をもって自戒してきました。今年も改めて「温故知新」のときだと思います。過去がなくては現在がないのですから、過去を忘れてはなりません。そうかと言って過去に浸っていては前進がないのですから、過去を感謝し、信仰をもって新しいスタート・ラインに立ちましょう。
そこで「召しと計画」について考えたいのです。神は永遠の計画を持っておられ、それを実現するために人を立てられ、用いられるのです。20世紀初頭にアメリカのアズサにおいて聖霊のリバイバルが起こり、そこから世界中に聖霊の火が燃え上がりました。そして神は日本にその恵みをもたらすために、オハイオ州オークランドに仕立て屋を営むジュルゲンセンを召され、この忠実な聖徒は息子を残して家族で日本に来られたのです。のちにこの息子も来日して働きに加わります。
召しにも、さまざまな状態の中からの召しがあり、状況によって異なりますが、いずれも神の計画を実現するために立てられたものです。私たちもみな、神によって神の計画を実現し、成就するために召されているのです。 それに気がつかないで今日まで来られた方もあるでしょう。実はモーセがそうだったのです。モーセは80歳で、神に呼び出されています。しかし、神はそれまでに彼が神の計画を実現できるように、モーセを取り扱っておられるのです。 神の計画を実現するための条件とは「きよめ」と「解放」と「献身」の三つです。モーセをこれにかなう者とするためには80年を要しています。そこからがモーセの真の人生の始まりでした。
私たちも今からでも遅くはないのです。神の計画を実現する者となるために立ち上がりましょう。それがなければ、むなしさの中に人生を終わってしまうことになるでしょう。
主は間もなく、来られます。感謝と喜びをもって主の前に出られるようになりたいものです。 マラナタ!