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『我らは神の言葉に従う』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅱ列王記5:1-19

はじめに

本日の聖書箇所から、神の御言葉に従うことによって、ツァラアトを癒やされたアラム王の将軍ナアマンの信仰を見てまいります。

1.私たちの伝道は主イエスを紹介すること

ナアマンのツァラアト(重い皮膚病)の癒しは、捕虜となり、ナアマンの妻の奴隷とされていた一人のイスラエルの少女から始まりました。少女は、「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに」(Ⅱ列王記5:3)と女主人に伝えます。彼女にとって、奴隷とされた敵国の女主人の夫の病のことなど、心配する義理はありませんでした。しかし、彼女が神の預言者エリシャのことを紹介したので、アラム軍の将軍が主なる神の救いにあずかり、主を信じる者となるという偉大な主の恵みの出来事の発端となったのです。

イスラエルの少女は、捕虜とされ、奴隷とされた境遇にもかかわらず、信仰の証しをしたのです。彼女の行いは、決して大きな、難しいことをしたのではなく、サマリアにいる預言者のところに行けば癒してもらえると伝えただけでした。今日の私たちの伝道も同じです。小さな一つのきっかけを作ることで、後は、主が働いてくださり、主が人を救いへと導いてくださるのです。苦しみや悲しみなど、いかなる境遇にある人でも、主の救いの恵みを語ることはできるのです。私たちが行う伝道は、主イエス・キリストの所に、人を導き、主を紹介することであることを覚えましょう。「来て、そして、見なさい。」(ヨハネ1:46

2.御言葉に聞き、従う幸い

ナアマンは少女の言葉を信じて、サマリヤのエリシャの所に行きます。しかも、主君のアラム王からイスラエル王への親書と多くの高価な贈り物を携え、馬と戦車をもって出かけたのです。エリシャは、家の前に立った国賓といってもよいようなナアマンに対して、戸口に出るどころか、使いをやって、「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります」(Ⅱ列王記5:10)と告げます。これを聞いたナアマンは、激しく怒り、そこを立ち去ります。それは、エリシャの自分に対する無礼と思える態度、そして預言者らしく癒やす方法が、自分の願っていたものとは全く違っていたからでした。

ナアマンはしもべたちの言葉、「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか」(Ⅱ列王記5:13)という言葉を聞き入れ、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸し、体が元どおりになります。

主の御言葉は、私たちには愚かに思えたり、遠回りをしているように感じたりします。しかし、実は、主の栄光を見させて頂く唯一の方法であり、一番の近道なのです。ナアマンは、主の御言葉に従うことによって、「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。」(Ⅱ列王記5:15)と告白するに至るのです。私たちは今、主に対して自分の願いをかなえることだけを要求し、主を自分に従わせようとするような思いを持ってはいないでしょうか。また、自分の考えや計画を主よりも重要視してしまい、主が自分の計画に従ってくださいということを、いつしか言っていないでしょうか。私たちは、常に、主の御言葉に従いましょう。自分の経験や知識に頼りすぎず、絶えず主との交わり、主の御旨を求めて行きましょう。

まとめ

ナアマンはヨルダン川で身を洗い、癒されましたが、それは、ヨルダン川に特別な力があったからではありません。彼が主の御言葉に従ったからです。自分の計画や自分の方法で、主を自分の思い通りに動かそうとするなら、それは、自分を主人にしてしまうことになります。主の前にへりくださり、主の御言葉を聞いて従う時、主の大いなる恵みに与らせて頂くことを覚えましょう。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11:28

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