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『神のしもべとして生きる幸い』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰペテロ2:11-25

はじめに

本日の聖書箇所から、神のしもべとして生きる者とされたキリストの幸いを見てまいります。

1.主イエスの贖いによって自由にされた者たち

キリスト者は、主イエスの十字架の贖いによって、罪の奴隷から解放され、神のしもべとされました。それは、罪の支配から自由にされたということであり(ローマ6章、ヨハネ8:31-36)、究極的には罪の結果である死から解放されたということです。

主にあって自由とされたのだから、この世での生活を軽んじて良いというのではありません。大切なことは、罪の世にあって、「りっぱな行い」に生きること、すなわち、主イエスと共に歩み、父なる神との関係に留まり続けることです(Ⅰペテロ2:12)。そうすれば、主を知らない人々が、何かのことでクリスチャンを悪人呼ばわりしていても、その「りっぱな行い」を見て、「おとずれの日」すなわち、時が来たならば、神をほめたたえるようになることを教えています。

私たちクリスチャンに、罪の誘惑や試練が迫ってくることは避けられません。しかし、「たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけ」(Ⅰペテロ2:11)、主を信じて仰ぎ見る時、私たちは勝利者となるばかりではなく、また主を知らない人々に、主イエスの偉大な救いを証しすることができることをおぼえましょう。

2.神の奴隷として生きる

ペテロは、「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても・・・」(Ⅰペテロ2:13)と、この世でのクリスチャンのあるべき姿を具体的に教えています。クリスチャンは、天に国籍を持つ者であり(ピリピ3:20)、この世では旅人であり、寄留者のような者です。しかし、同時に、地上において一つの国に生きている者です。このことは、キリスト者たちは、神の国の支配に生きながら、なお地上に生きる者であるということを示しています。

この世の権威に従うとは、私たちの信仰に基づくものです。すなわち、私たちはキリストを信じて救われ、自由な人とされましたが、主イエスが再臨されるまで、この地上で生きるのです。この世に生きる限り、この地上の秩序や法の中を歩みます。また、限られた時間の中で、限られた肉体を持ち、仕事や生活、いろいろなしがらみに縛られて生きて行きます。そのクリスチャンの姿は、奴隷のようなものです。だからこそ、ペテロは、キリスト者たちが「神の奴隷」として生きることを命じています。なぜならば、人は、神の子とされ、神のしもべとされるからこそ、真の自由が与えられるからです。

私たちクリスチャンは真の支配者、王が主なる神であることを知っています。主イエスが再臨され、完全に神の国が到来する時まで、この世で、主が与えてくださった生活を日々、歩むことにおいて、主の良き証し、「りっぱな行い」を現すことができることを知っています。神のしもべとして生きる時こそ、主の豊かな恵みが注がれることを覚えましょう。

まとめ

私たちクリスチャンは、神の国の支配に生きながら、なお地上に生きる者です。主イエスを知って、主の救いを頂くまでは、「罪の奴隷」でした。しかし、「伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです」(ローマ6:17)。今は、真の支配者、王を知っています。主イエスこそ、すべての支配者です。この主の支配に生きる時、私たちは真の自由と幸いを頂き、真の命に豊かに生きることができることを覚えましょう。

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