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『マナ、天から降るパン』

説教:髙橋恵子 師

はじめに

エジプトから導き出されたイスラエルの民は、「神の民」として歩むための訓練を荒野で受けます。主は、御自身が民を養うことを示すために、「天からのパン」を与えられました。本日は、主は毎日、私たちを生かし、導かれておらえるということを御一緒に見てまいります。

1.私たちを養われる主

イスラエルの民は、主が立てた指導者モーセによって、奴隷とされ苦しめられていたエジプトから解放されました。エジプト脱出後は、約束の地への荒野での旅が始まります。荒野での生活において、民は、それまで数々の主の奇跡を体験していたにもかかわらず、水や食料がないことで、主に不平を訴えます(出エジプト16:8)。人々は、目の前の問題に心を捕らわれてしまい、与えられた主の恵みを忘れて、奴隷状態だった時を懐かしむまでになっていました(出エジプト16:3)。

主は、不平を言う民に、朝は天からのパンであるマナを与え、夕方にはうずらの群れを飛せて、その肉を食べることができるようにしてくださいました(出エジプト16:12-13)。このマナは、イスラエルの民が約束の地に着くまで、毎日40年間、絶えず与えられました。

主はイスラエルの民をマナをもって毎日養われたように、今日も、私たちに必要なものを御自身の恵みをもって毎日与えてくださることを覚えましょう。私たちは日々、その日の恵みを求めて神に祈りつつ生きるのです。「主の祈り」の「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」は、そのことを示しています。

2.荒野の旅路を導かれる主

主は、エジプトで奴隷となっている民を解放し、民は約束の地を目指して旅をします。このことは、今日の私たちにも重なることです。主イエスは、私たちの罪の贖いのために十字架で死んでくださり、三日目によみがえってくださいました。この主イエスの十字架の贖いによって、罪の奴隷状態となっていた私たちは解放され、主の恵みのうちを新しく生きる者とされました。民が奴隷状態から解放され、約束の地へと旅をしたように、主イエスによる罪の赦しの恵みにあずかった私たちも、罪から自由にされた者として、主が約束してくださっている救いの完成、つまり、復活と永遠の命を目指してこの世の旅路を歩んでいくのです。

荒野を旅する民と同様に、私たちの信仰の歩みも、困難や問題によって信仰の歩みが妨げられたり、弱さでつまずいたり、迷ってしまうことがあります。その様な時こそ、私たちを愛してくださっている主に信頼しようではありませんか。

3.天からのマナ、主イエス

主イエスは、「わたしはいのちのパンです。あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:48-51)と語られました。主イエスという命のパンを食べるとは、主が私たちの罪の裁きの身代わりとして十字架にかかってくださったことを信じ、御言葉によって生きるということです。

私たちは、イスラエルの民が毎日マナをもって養われたように、天からのパンである主イエスによって養われ、神の御国を目指してこの世の荒野を旅していくのです。その旅において、私たちも神の民として成長させていたくことを覚えて、主の聖名を誉めたたえてまいりましょう。

まとめ

主は約束の地を目指して荒野を旅するイスラエルの民を、マナによって40年間養われました。マナは、主イエスを象徴しています。マナがイスラエルの人々に与えられて、彼らの日々の命を支えたように、主イエスは全ての人のためにこの世に来られて霊的な命を与えられました。イスラエルの人々が毎日マナを必要としたように、私たちも毎日、キリストという霊的な命のパンを必要としています。主の御言葉は、私たちの魂を生かし、健やかにする霊的食物です。私たちが毎日食事をするように、主の御言葉を毎日頂き、御言葉によって一日一日を歩ませていただきましょう。

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