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『神の安息』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 創世記1:24-2:3

はじめに

神は六日間で天と地と全てのものを創造され、第七日目に創造の業を休まれました。主はその安息日を、私たちのために祝福し聖別してくださいました。本日は、この「神の安息日」について、ご一緒に見てまいります。

1.安息日は神が定められた

「安息日」という言葉は、出エジプト記から使われるようになりましたが(出エジプト20:8)、起源は神の創造の時にあります。主なる神は、六日間で天と地とその中の全てを創造され、最後に人を造られました。神が人を造って後、全ての造られたものを見たとき、「それは非常に良い」(創世記1:31)ものでした。そして、神は第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれ、「この日を聖である」とされました(創世記2:1-3)。

主が、「第七日目を祝福し、この日を聖」とされたのは、全ての被造物のためです。特に、神ご自身に似せて創造された私たち人間には、私たちの創造主である神との交わりが必要です。神は、私たちが生きていくのに必要な安息を与えて、神から頂いた命に満ち足りて生きることができるようにする日として定めてくださいました。安息日とは、何もしない日なのではなく、神の祝福を求め、神と交わる日、主を礼拝する日です。神との交わりにおいて、神は私たちの霊的な疲れを癒やしてくださり、私たちは真の魂の憩いを頂くことができます。この安息日に、主は今も私たちを招いてくださっています。「こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」(ヘブル4:1

2.安息日は人間の祝福のために造られた

主イエスは、度々、安息日に神の御業を行われ、病いなどを患っている人々を癒やされました。当時の指導者たちは、安息日の本来の意味を忘れて、この日には一切の働きをすべきではないと、外側の形だけを守ることを重視していました。しかし、主イエスは、安息日は人間を祝福するために神が備えられた日であり、人が安息日のために造られたのではないことを教えられました(マルコ2:27)。この言葉を聞き入れなかった指導者たちは、主イエスを十字架で殺してしまいます。しかし、主イエスの十字架によって、私たちは今、父なる神の前に立つことを許され、溢れる恵みとあらゆる善きもので生かして頂いているのです。

主イエスは、真の安息を得るために、ご自身のところに来ることを教えています。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)主イエスと共に生きる時、私たちは、真の安息を頂くことができるのです。

クリスチャンにとっての日曜日は、神を礼拝する時であり、安息の時です。神が天と地と、全てのものを六日間で創造され、七日目に休まれたように、私たちも「六日間は自分の仕事をし、七日目は休み」(出エジプト23:12)、私たちの救い主の偉大な救いの御業を誉めたたえようではありませんか。「きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」(ネヘミヤ8:10

まとめ

安息日は、人のために定められました。主イエスこそが、十字架の贖いによって、私たちに真の安息を与えてくださる「安息日の主」です(ルカ6:5)。私たちは、真の安息を、主イエスを礼拝するところで与えられます。今週一週間も、神が備えてくださった安息を頂き、他の六日間を主と共に歩んでまいりましょう。

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