『信仰の量りに応じて』
はじめに
ローマ書は1章-8章までに、父なる神は私たちの救いのために、ひとり子イエスを遣わしてくださったことを教え、9章-11章で、主の救いの約束は反逆したイスラエルさえ救おうとされていることを述べています。12章からは、私たちが主の救いに対して、どのように応答して生きるかを教えています。本日は、12章から共に見てまいりましょう。
1.信仰生活の基本は礼拝である
主への応答の最初は、主を礼拝することです。礼拝とは、自分自身のからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげることです(ローマ12:1)。礼拝は、主日に教会に集まることだけではなく、毎日の生活を主に捧げることでもあります(アモス5:21-24)。私たちは毎日、忙しい生活を送っています。その中で、私たちはどれほど主を第一とし、主との交わりを大切にしているでしょうか。全ての善きことの基は、主から与えられるのですから、主と共にあるなら、祝福が溢れるばかりに与えられることを覚えましょう。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)
2.主への奉仕
私たちクリスチャンの奉仕は、自分を主に明け渡す礼拝から始まります。奉仕は、主のためのものですが、他の兄弟姉妹のため、教会全体のためのものでもあります。パウロは、奉仕について教える前に「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」(ローマ12:5)と、教会がキリストの体であると語ります。このキリストの体である教会の交わりの中で、奉仕をささげることによって、教会が建てあげられます。
クリスチャン一人一人は、主から「与えられた恵みに従って、異なった賜物を持って」います(ローマ12:6)。賜物はそれぞれに働きがあり、相互に作用し合って、教会の徳を高めるのです。奉仕は、教会の交わりに仕えるものであり、教会の使命を果たすのは、個人が独立してなすのではなく、各々が一致して賜物を用いて成すことなのです。聖書でいう「賜物」とは、聖霊によって与えられる霊的な力のことで、生まれつきの能力とは異なります。聖霊が与えてくださったものを、聖霊によって正しく用いる時、それは、教会を建てあげ、他の人々の祝福になります。どんな奉仕も、教会全体のために役立つことを覚えましょう。
奉仕は信仰に基づいてなされ、信仰の成長のためになされるものです。もし、人から出たものであるなら、教会の中に比較や対立、分裂の原因となってしまいます。奉仕は、私たちそれぞれに与えられた賜物に応じてだけでなく、「信仰の量りに応じて」されるべきことを教えます(ローマ12:3)。「信仰の量り」とは、信仰の成長の度合いを意味します。教会では、奉仕をする者に求められるのは「信仰」です。私たちは、どのような奉仕であれ、御言葉と祈りによる主との交わりに根ざし、信仰によって励もうではありませんか。
まとめ
私たちは主イエス・キリストの十字架のあがないによって、主の体なる教会に加えられた者です。それぞれに主から賜物を与えられ、互いに善きものを分かち合いながら、教会の徳を高め、「キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)よう成長するものとされました。そのために、日々に、主の前に「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕え」(ローマ12:11)てまいりましょう。