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『豊かな実りを与える神』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マルコ12:1-12

はじめに

本日は、主イエスが語られた「ぶどう園と農夫」のたとえから、御一緒にみてまいります。

1.ぶどう園と農夫のたとえ

ここでの主イエスたとえは、直接には、主イエスの権威はどこにあるのかを問うた祭司長、律法学者、長老たちに対して語られたものです(マルコ11:27-33)。このたとえでは、主人が実に丁寧にぶどう園を造り、整える様子が記されています(マルコ12:1)。主人が農夫たちに与えたぶどう園は、豊かな実りが約束されている所です。

私たちの今いる所は、天と地の創造主が造くられたところであり、主が私たちを遣わしたのです。ぶどう園を念入りに造られた主人のように、私たちが遣わされた所は、豊かな実りを約束されたところです。私たちは不毛な地を歩むのではなく、主から賜った豊かな命あふれる人生の歩みをさせていただいていることを覚えましょう。

2.主は私たちに将来と希望を与える

主人は、ぶどう園の管理を任せた農夫たちを強く信頼し、農夫たちと一緒に、収穫を喜ぼうとします。しかし、農夫たちはそれをよしとはせず、かえって、主人が遣わしたしもべたちに乱暴したり、殺したりしたのです(マルコ12:3-5)。最後に主人は「私の息子なら、敬ってくれるだろう」と言って、自分の息子を遣わします(マルコ12:6)。主人の農夫たちに対するこの態度は、私たちの常識や理解を遙かに超えています。

ここで「しもべたち」とは、主が神の民に送った預言者たちのことです。また、最後に遣わされた主人の息子とは、主イエスのことです。主なる神は、主から離れて歩んでいる民に、繰り返し神に立ち返るようにと語り、そのひとり子をさえも遣わされました。しかし、人は神の御言葉を受け入れず、最後には御子イエスを十字架にかけて殺してしまいました。この非常識な姿は、この時代の宗教指導者たちのことだけではなく、私たち全ての姿です。

私たちは本来、神の民として、主の権威のもとで主なる神からの実りを約束されて、この地上を歩むようにされました。しかし、主の権威を認めず、自分自身を王とし、各々勝手な道を歩んでさ迷ってしまったのです。主イエスは、そのような者たちに向かって、このたとえをもって、主に立ち帰るようにと語られたのです。私たちの人生の歩みは、主が御存知です。それはわざわいを与えようとするものではなく、平安を与える計画であり、私たちに将来と希望を与えるためのものであることを覚えましょう(エレミヤ29:11)。

3.家を建てる者たちの見捨てた石

主イエスは、このたとえに続けて、詩篇118篇を引用します。人が不必要だと考えて捨ててしまった石が、新しい家を建てるための礎の石となったというのです。神の家を建てるよう任されていた、祭司長、律法学者、長老たちは、主イエスを不必要だと捨てて、十字架につけてしまったのです。しかし、その捨てられた主イエスが、新しい神の家、主イエスの体である教会を建てられたのです。これは主のなさったことで、「私たちの目には、不思議なこと」(マルコ12:11)です。

主の愛と行為は、私たちの常識を遙かに越えており、私たちには愚かに見えます。しかし、神の愚かさは人よりも賢いのです(Ⅰコリント1:25)。人が不必要として捨てた主イエスによって、私たちは主イエスを信じる者とされ、主の体なる教会に加えられたのです。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Ⅰコリント1:18)。

まとめ

主人は農夫たちに、豊かな実りを約束し、ぶどう園に遣わしました。同じように、主は私たちの歩みに、豊かな実りを約束しておられます。私たちが主の御言葉に従って歩む時、豊かな人生の実りを与えてくださり、主とともに収穫を喜ぶことができるのです。私たちは将来のことを知ることはできません。しかし、主は「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている」(エレミヤ29:11)と語られました。主が私たちの将来を知ってくださっていること以上の平安はありません。主から委ねられ、遣わされた所で、精一杯主に仕えてまいりましょう。

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