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『キリストを着る』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ガラテヤ3:23-29

はじめに

本日の聖書箇所で、バプテスマを受けて救われるということを、「キリストを着る」とたとえています。罪人がキリストという恵みの衣服を身体にまとわせていただいた幸いについて、共に見てまいりましょう。

1.人は律法の行いによってではなく信仰によって救われる

人が救われるのは、律法の行いではなく、主イエスを主として信じる信仰によります。律法は、「約束を受けた子孫」である主イエスが来られる時まで、罪の違反を示すために、私たちを「キリストへ導くための養育係」として与えられたものです(ガラテヤ3:17-24)。今は、約束された「子孫」である主イエスがこの世に来てくださり、十字架の贖いによって、まことの「信仰」が明らかにされたのです。ですから、私たちはもはや「養育係」である律法の下にはないのです。

神の救いは、具体的な形として見ることはできません。人の罪は、救いを見える形にしようとしてしまいます。それが、ガラテヤ教会において、律法を守り行わなければ救われないという律法主義を生み出してしまった主な理由でした。しかし、パウロはそれに対して、人が救いの保証である御霊を受けたのは、律法を行ったからではなく、主イエスの十字架の贖いによって罪を赦されたという福音を聞いて信じたからであると教えます。「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」(ローマ3:28)のです。主が用意してくださった完全な救いを、信仰によっていただきましょう。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10

2.キリストを着た者

主イエスを信じてバプテスマ(洗礼)を受けた者はみな、「キリストを身に着たのです」(ガラテヤ3:26-27)。主イエスの救いによって、私たちは「みな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子ども」とされました。ですから、人種や身分などを越えて、全ての者が主イエスにおいて一つとされるのです。また、キリスト者は全て、霊におけるアブラハムの子孫であり、約束による御国の相続人であることを覚えましょう。

洗礼は、水に浸かる時、古い罪の自分に死んで、水から上がる時に、主の御霊を受けて新しい命に生かされることを現しています。キリスト者はみな、キリストを着ている者です。キリストの義が私たちを覆っているので、私たちは主の前に罪なき者とされ、神の子、神の民とされて、父なる神を「アバ。父よ」と呼んで御前に立つことを許されています。

主イエスは、復活後に弟子たちに「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)と命じられました。ペンテコステの日に、父なる神の約束のとおりに聖霊が弟子たち一人一人の上に降り、彼らを覆い、聖霊の衣が与えられました。彼らはキリストの霊を着て、大胆に主イエスの福音を宣べ伝えて行きました。キリストを着た私たちも、キリストを証しする者であることを覚えましょう。

まとめ

主イエスを信じてバプテスマを受け、キリストにつく者とされた私たちはみな、キリストをその身に着たのです。私たちはキリストのものとされ、御国の国籍を持つ者とされたのです。キリストを着た者として、相応しく生き、主に喜ばれる証しの人生を歩んでまいりましょう。

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