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『主イエスからの問い』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ21:23-32

1.バプテスマのヨハネについての問い

主イエスが宮で教えているとき、祭司長たちや、民の長老たちが来て主に問います。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか」(マタイ21:23)。主は、答える代わりに問い返されます。「ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか」(マタイ21:25)。答えは明らかです。ヨハネのバプテスマは、神の権威によって遣わされたのです。

この主イエスの問いに対して、彼らは答えを知っていたにも関わらず、返答しませんでした。彼らは、人々への自分たちの面目をいかにして保つかを考えたからです(マタイ21:25-26)。そして、その返答によって、イエスが救い主であるということを受け入れなければならならなくなり、自分自身の信念や思いを変えなければならなくなると理解したからです。

主イエスは私たちにいつも問いかけておられます。主イエスからの問いに真実をもって答えることは、すなわち、主イエスを救い主として信じ、これまでの罪の生活にあった自分を主に変えていただくことを意味します。当時の宗教指導者たちは、イエスを救い主として受け入れ、神の前に自分たちの権威を捨てることができませんでした。そればかりか、自分たちの面目を保つために、主イエスを殺そうとさえ考えたのです。

今日、主は私たち一人一人に問うておられます。あなたは御子イエス・キリストを救い主として信じますか。あなたの周囲にある一つ一つの事柄は、主の御手の中にあることを信じますか。あなたの隣にいる兄弟姉妹、霊的指導者たちは、主が置かれたものであるということを信じますか。「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6

2.二人の兄弟の言動に対する問い

主はバプテスマのヨハネについての問いに加えて、もう一つのたとえを語られ、問われます。父親が二人の息子たちに言います。「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」。兄と弟の態度は、それぞれに異なりました。それについて、主は問われます。「ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」(マタイ21:31)答えは簡単です。「『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った」(マタイ21:30)弟です。このたとえで語られている「悪かったと思って出かけて行った」弟の行為は、心を変えるということ、すなわち、「悔い改める」ということを表していると言えるでしょう。

主はさらに語られます。「あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです」(マタイ21:32)。主は、罪を悔い改め、神を信じて生きることを求めておられるのです。今、この時が大切です。「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル3:15)のです。「『きょう』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないように」(ヘブル3:13)しようではありませんか。

まとめ

本日のたとえ話は、心を変えること、すなわち「悔い改める」ということが中心です。主は聖霊によって、私たちにいつも語りかけてくださいます。その語りかけに、いかなる時も従ってまいりましょう。たとえ私たちの罪が大きくても、「あとから悪かったと思って出かけて行った」弟のように、いつも主の前に悔い改め、主の命に生きることを求めてまいりましょう。

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