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『先頭に立たれる神』

説教:高橋正人 牧師

はじめに

ヨシュア率いるイスラエルの民は、約束の地カナンに攻め入るに際し、先ず、ヨルダン川を渡らなければならないという試練に直面します。本日は、主が民の先頭に立って進まれ、民は一致してその後に従った姿をご一緒に見てまいります。

1.なぜ一致が必要なのか

「見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。」(ヨシュア3:11)とある通り、主御自身が民の先に進まれます。それは、この戦いが人の戦いではなく、主の戦いだからです。ですから、ヨシュアは民に「あなたがたの身をきよめなさい。」(ヨシュア3:5)と命じます。自分自身を聖別するということは、自分の罪との戦いであり、主の前に自分自身を全て明け渡して従うことです(Ⅰペテロ1:16)。

主は荒野の40年間、モーセを指導者としてお立てになり、イスラエルの民に必要な全てを与えて導き続けてくださいました。主は、荒野の旅が終わり、場所や指導者が変わっても、継続してイスラエルの民を導かれました。主は、私たちの人生の旅路に先に立って導いてくださるお方です。主イエスは、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束されました。私たちは、先に何が起こるのかは分かりません。しかし、主は私たちと共におられて、私たちの人生を先導してくださるお方であることを覚えましょう。主に従う歩み以上に、確かな道はありません。

2.御言葉に導かれる民

民はヨルダン川を渡るとき、契約の箱をかつぐ祭司たちの後に従いました(ヨシュア3:14)。「契約の箱」は、その中に十戒の書かれた二枚の板が納められており(申命記10:1,2)、主の臨在を象徴するものです。このことは、主の御言葉が先頭に進まれるということを示しています。また、祭司たちのかつぐ契約の箱に民が従うとは、民が主の御言葉に従うべき事を意味しています。

さらに、ヨシュアは祭司たちに「ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない」(ヨシュア3:8)と、主の命令を告げます。箱をかつぐ祭司たちが主の御言葉の命令に従った時、ヨルダン川が完全にせきとめられる奇跡が起きました。主の偉大な御業は、御言葉に従う時に現されます。私たちが、主の御言葉に従って歩むなら、主の偉大な奇跡を目の当たりにすることを覚えましょう。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(ヨハネ11:40)。

3.十二個の記念の石塚

ヨシュアは、各部族から一人を選び、それぞれにヨルダン川の川床にある石を拾わせ、記念の石塚を立てさせました。これは後の子孫の証しとするためであり(ヨシュア4:7)、また、イスラエルの民が一つになって行くところに、主の御業が現されることを教えるためです。ヨルダン川を渡るのは、屈強な兵士たちだけではなく、女性や子ども、弱い人や病人もいたのです。こういう人々の群れが、深く流れの激しい川を渡るためには、群れが一つとなっていなければなりませんでした。

今日の教会にも、様々な人たちが主によって集められています。私たちが主にあって一致を保ち、御言葉に従って踏みだす時、ヨルダン川のような難所であっても、主はそこに道を設けて御業を現してくだいます。主イエス御自身も、主にある者たちが一つとなることを父なる神に祈り願われました(ヨハネ17:21-23)。それは、主を信じる者たちが一つである時、そこに主の命の流れが溢れ出るからです。私たちクリスチャンの記念の石塚は、主イエス・キリストであることを覚えましょう。

まとめ

イスラエルの民がヨルダン川を渡るというのは、人の目には不可能なことでした。しかし、先立って民を導かれた主は、不可能を可能とされました。このことから、今日の私たちは、一致の大切さを教えられます。すなわち、御言葉に従うことによる一致、祈りにおける一致、そして、各々の違いを超えて主にあって一つとなることです。異なる石がそれぞれの違いを乗り越えて、主にあって一致する時、主が勝利を与えてくださることを覚えましょう。

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