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『その星を見て』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ2:1-15

はじめに

アドベントの第二週を迎えました。本日は、不思議な星に導かれてエルサレムに辿り着き、幼子イエスを礼拝した東方の博士たちについて、ご一緒に見てまいります。

1.星に導かれた東方の博士たち

東方の博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」のことを星のしるしを見て知り、エルサレムに旅立ちました。彼らは、最初、首都エルサレムの王宮を訪れましたが、そこには拝むべき救い主である王はおられませんでした。彼らは失望したことでしょう。その後、彼らは、自分たちが探している王は、エルサレムではなくベツレヘムという小さな町にいることを知らされます(マタイ2:4-6)。

博士たちにとって、王がベツレヘムでお生まれになったということは予想外であったことでしょう。しかし、エルサレムからベツレヘムへの予想外の旅を先導したのは、彼らが「東方で見た星」でした(マタイ2:9)。星は、博士たちがどこに行くべきか道が分からない、目の前がまるで暗闇という状況の中で、救い主イエスのもとに導いたのです。

博士たちは星によって主イエスの所に導かれましたが、私たちはキリストを指し示す御言葉によって導かれます。星に導かれた博士たちは、救い主に会って、非常な喜びに満たされたのです(マタイ2:10)。私たちにとって、御言葉によって導かれ、主イエスと共に歩むこと以上に安心で、大きな喜びはないことを覚えましょう。

2.救い主に出会う大いなる喜び

救い主が誕生されたという出来事によって、人の応答は二通りに分かれます。一つは、ヘロデ王やエルサレム中の人たちのように、新しい王の誕生を聞いて恐れ惑う人たちです。人はそれぞれ、ヘロデ王のように、自分の人生という王国を持っていて、自身がその王であり続けようとします。そのような人にとって、まことの王の到来は、自分の王座を脅かすものでしかないのです。

もう一つは、まことの王を慕い求めて「星」の導きに従った博士たちに見る態度です。彼らは、それまでの自分たちの古い生活を後にして、まことの王を求める長い旅に出かけたのです。その結果、彼らは全ての人の救い主を見出し、その前にひれ伏し礼拝したのです。彼らは、主イエスと会うことで、大きな喜びを与えられました。

救い主と出会い礼拝したことで、東の博士たちは自分たちが真の神の支配のもとに生き始めたことを知ったのです。ここにおいて、彼らの旅は意味あるものとなりました。今日の私たちにとっても、人生という旅路における最も大きな意味は、礼拝すべき御方を知ることであり、まことの王であるイエス・キリストを見出すことであることを覚えましょう。キリストを知ることこそ、私たちの全てなのです。

3.感謝を捧げる

主は今もなお、私たちを恐れや不安、様々な迷信的な事による支配から、喜びと平和の満ちあふれるキリストの支配へと招いてくださっています。救い主と出会い、大きな喜びを与えられた東の博士たちは、自分たちが携えてきた「黄金、乳香、没薬」を幼子イエスに捧げて主を礼拝しました。

彼らは、真の神である救い主に出会ったことによって、人生の歩みを決めるのは、この世の偶然や、得体の知れない力などではなく、星を先導させて自分たちを導く、真の神であることを知ったのです。ですから、彼らは、これまで自分たちの生活を支えてきた占いの道具を、全て主に捧げ、主に自分の人生の歩みを委ねたのです。

主は、私たちのうちに御自身を現してくださったので、私たちは主を礼拝するものとされました。ですから、私たちも自分自身を主に捧げようではありませんか(ローマ12:1)。

まとめ

博士たちは御子イエスを見出し、この上もない喜びに満たされました。私たちも、主に召し出された者として、救いの喜びに満ちあふれて歩もうではありませんか。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」(Ⅰペテロ1:8

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