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『あなたの心のある所』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ6:19-24

はじめに

本日は、主イエスが語られた山上の説教中の、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」の御言葉を中心に見てまいります。

1.天に宝をたくわえる

主イエスは、私たちに自分の宝を地上にたくわえるのではなく、天にたくわえなさいと語られました(マタイ6:19-20)。主イエスが言われた「宝」とは、私たちが生きて行く上で拠り所とする有形無形のもののことです。「自分の宝を地上にたくわえる」とは、この世のものに頼って生きることを示しています。主イエスは地上の「宝」は、「虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗み」、いつかは消え失せてしまうもので、究極的には頼りにならないものであるいことを教えられます。

「天に宝をたくわえる」とは、地上の「宝」ではなく、「天の父なる神の恵み」に拠り頼んで生きることです。これは、山上の説教の最初で「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:3)と語られていることと同じです。ただ主の恵みと憐れみによって生きるしかないと知る者こそ、父なる神の恵みを求めて、それを与えられるからです。

父なる神は、求める者に恵みを豊かに与えて養ってくださるお方です。主の恵みによって生かされ、支えられて生きる時、そこに真の幸いがあるのです。この主の幸いに生きることこそ、天に宝をたくわえることなのです。

2.あなたの宝のあるところに、あなたの心もある

主イエスは、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイ6:21)と語られました。人は自分の命や人生に関わるもの(宝や富など)に、いつも大きな関心を払っています。私たちの関心が地上の宝や富だけであるなら、いつしかそれが偶像になり、世の宝に仕える奴隷にさえなってしまいます(ピリピ3:19)。しかし、天に宝をたくわえる時、私たちの心は主のもとにあるのです。主に心を注ぐなら、主は豊かな命に私たちを生かし、溢れる恵みをもって養ってくださいます。

主は、天と地と全てのものを創造され、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださるお方です(Ⅰテモテ6:17)。父なる神は、私たちに必要なものをご存じであるばかりでなく(マタイ6:32)、私たちの救いのためにそのひとり子をも惜しまないで十字架の贖いのために与えてくださいました。天に宝をたくわえる時、すなわち、主を全く信じて、主の恵みと憐れみに生きるなら、私たちの心はいつも主にあり、溢れる主の命に生かされることを覚えましょう。「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14

3.だれも、ふたりの主人に仕えることはできません

当時、目は体の窓で、そこを通って体内に光が入ってくると考えられていました。主イエスはこの表現を用いて、霊的な真理を示されました。霊的な目、すなわち、心が主に対して一心に向いて、天に宝をたくわえ続けているなら、その人自身が主の命に輝くことを示されたのです。

私たちの目は、主に向けていなければなりません。私たちは「ふたりの主人には仕えることができない」からです。「仕える」という言葉は、奴隷として縛りつけられるという強い意味があります。私たちは、以前は罪の奴隷でしたが、主イエスの十字架の贖いによって罪から解放され、今は神のしもべとされ、永遠の命に生きる者とされました(ローマ6:22)。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さず、主イエスを見つめて、信仰生活を歩み続けましょう(ヘブル12:2)。

まとめ

私たちが宝とするものに、私たちの心があります。私たちクリスチャンの宝は、主イエス・キリストです。このキリストの十字架による贖いの死と復活によって、私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命に生きる者とされました。それは、父なる神の一方的な恵みによることであり、約束です。主イエスの救いをいただき、主の宝の民とされた私たちは、主イエスを常に仰ぎ見て、御言葉に従って信仰生活を歩んでまいりましょう。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(申命記14:2

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