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『宣教の原点に立つ』

特別説教:山城晴夫 名誉牧師

献堂85周年を迎え、改めて主に感謝しつつ、前進したいと思います。パウロが「自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます、すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために目標を目指して一心に走っているのです」と言っています。私たちもこの朝、同じ思いで神の前に出ています。今年は献堂85周年、来年はジュルゲンセン師の宣教100周年に当たります。

Ⅰ 信仰の原点

80歳のモーセはホレブで神の前に立っています。神からエジプトで苦しむ同胞の救出のために遣わされようとしているのです。自分の力でヘブル人を救出しようとして失敗してミデアンに逃れ、イテロの羊を飼って、そのまま一生を終えようとしていたモーセに一大転機が訪れました。これがモーセの信仰の原点で、それまでの王宮における40年と、ミデアンにおける40年はいずれも彼のこれからの日々の準備期間に過ぎなかったのです。言い換えると神との直接的な触れ合いこそが原点となるのです。それがなければ王宮において学んだ知識も、ミデアンのおける出来事も、単なる人生経験に過ぎません。私たちに一番大切なことは、神との出会いです。モーセはそこで燃え尽きない柴の不思議な光景を見ました。私たちは十字架のイエス・キリストを見たのです。罪なき神の御子が十字架に架けられるということほど、不思議な光景はないでしょう。これこそが私たちが立つべき信仰の原点です。

Ⅱ 宣教の原点

エジプトで苦しんでいる同胞を救出するために、神はモーセを選ばれました。十字架の福音を選民であるイスラエルに伝えるために、神はペテロを用いられ、異邦人にキリストによる喜びの知らせを広めるためには、パウロが用いられています。モーセも、ペテロもパウロも完全な人ではなく、むしろ、口の重いモーセであり、イエスを三回も否んだペテロであり、教会に対する迫害の急先鋒であり、最右翼であったパウロでしたが、彼らが宣教の原点となっているのです。神はオハイオ州のひとりの洋服の仕立て人を日本宣教のために選ばれたのです。神の召は服従によって全うされるのです。ジュルゲンセン一家の献身的な神への応答によってここ、日本にペンテコステの宣教のわざが始められることになったのです。

Ⅲ 神召の原点

こうしてジュルゲンセン一家は100年前に来日、上富士で宣教が始まり、やがて巣鴨、板橋方面に拡張されて、滝野川の現在地に神召教会が建てられました。当時の日本は今のように豊かではなく、生活習慣もことばも違う異国での宣教がどんなに苦しいことであったかは量り知ることは出来ません。母国の保証もなく、私財を打ち込んで建てられたのがこの会堂です。文字どうり、信仰の涙と汗の結晶です。これが神召教会の原点です。私たちはしっかりとこれらの原点を見つめて明日の神召へと前進して行きましょう。

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