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『この土台の上に』

特別説教:伊東徳衛 牧師

はじめに

コリントの教会はパウロの宣教の働きによって始められた教会でした。当時のキリスト者は一つの大きな中央集会所を持ちませんでした。彼らは家庭や講堂、どこででも事情の許す場所で集会を開きました。多くの小会衆があって、それぞれに指導者がおりました。これらの会衆はキリストのために協力一致するよりもライバルとして分派的傾向だったようです。そのことを聞いたパウロは心を痛め書き送った手紙です。

一.教会とはどのようなものか

マタイ16章18節で「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」ご存知のようにペテロの信仰告白に対するイエスのお言葉です。一方パウロは「私は賢い建築家のように、土台を据えました。……その土台とはイエス・キリストです。」と記します。

土台(文語訳聖書では基)は日本の木造建築で考えるとコンクリート基礎と理解するとよいでしょう。この土台は変えることはできません。しかし、この土台の上に建てることについては。どのように建てるか、どのような材料をもちいるかは、かなり許容的に任されております。

二.クリスチャン生活に適用する

私たちは信仰に入った時からキリストを基として人生を建て上げていると言えます。そしてその働きが試される時があります。。

三.試金石

何が働きをわらのように燃やし、または金のように火に耐え抜かせるのか。明らかに、火は、私たちが何を行ったかだけではなく、それをどのように、なぜ行ったのかも試すはずです。

1.関係の検査

神が報いる人生とは、イエスとの関係を離れて成り立ちません。

2.動機の検査

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。」(マタイ6:1)とイエスは言われました。私たちの動機はどうあるべきでしょうか。それは神に仕え、神に栄光をもたらすことであるべきです。食べるとか飲むといったごく普通の行いでも、神に栄光をもたらすことできます。対照的に、もし動機が自分自身のエゴや評判を上げるためなら、どんなに「宗教的な」行動でも価値を認めてもらえないのです。

3.愛の検査

真の良い行いは、常に他者の幸せのために誠実に努力することに焦点が置かれます。神の評価の基準はコリント人への手紙第一13章1~3節がヒントになるのでは。

まとめ

私たちが救われるのはイエス・キリストを信じる信仰によってです。しかし救われた者が善い業に励むことが勧められております。さらに行いには報いが伴うことを主は度々お話になりました。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」マタイ10:42

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