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『御霊によって歩む』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ガラテヤ5:13-26

はじめに

聖書は、私たちクリスチャンに、御霊によって歩みなさいと繰り返し教えています。今朝は、私たちクリスチャンが、なぜ御霊に従って歩むべきなのか、また、どうすれば御霊によって歩めるのかを一緒に見てまいりたいと思います。

1.御霊によって生き、御霊によって導かれる

パウロが、ガラテヤ教会に御霊によって歩むことを命じているのは、それによって「肉の欲望」を満足させることがないからであり(ガラテヤ5:16)、真実に主が望んでおられることを自分のこととして行うことができるからです。「肉の欲望」とは、私たち人間が生まれながらに持っている罪の性質のことです(ガラテヤ5:19-21)。

主イエスを信じる前の私たちは、「肉の欲望」の奴隷となって生きていた者であり、その結末は永遠の滅びでした。また、人は本来、主の栄光を現すために創造されたのですが、罪のために栄光を現すどころか、主に敵対する者となったのです(ローマ7:18-19)。そのような罪に縛られていた私たちを十字架によって贖い、主イエスを信じ、信仰の告白をするように導いてくださったのは、聖霊の働きによる以外の何ものでもありません(Ⅰコリント12:3)。

さらに、私たちが日々、主から受け継いだ神の国にふさわしい者として生きるように導いてくださるのも御霊の働きです。私たちは御霊によって生きる者とされ、さらに、御霊によって導かれる者とされました。御霊に導かれて歩むところに、真実の自由があることを覚えましょう。

2.主イエスに似る者となるために

主イエスを信じる者は、その人のうちに聖霊が住まわれます。ですから、クリスチャンは「聖霊の宮」と呼ばれます(Ⅰコリント6:19)。肉の願うことと御霊の思いは全く逆で、互いに相容れません(ガラテヤ5:17)。ですから、私たちのクリスチャン生活の中に、しばしば「霊」と「肉」との戦いが生じます。主イエスと出会って、救われ、神の子とされた私たちは、それまでの肉の業に対して戦い、これを退けようとします。しかし、人間の肉の欲に打ち勝ってくださったのは、主イエス・キリストです。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:24)とある通り、主イエスは、十字架の救いの御業によって、この私たちの罪に完全に勝利してくださいました。

御霊によって歩むなら、主は必ず霊の実を結ばせてくださいます。その実とは「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)で、その人の生まれや育ち、性格や能力によって結んだり結ばなかったりするものではありません。御霊の実を結ばさせてくださるのは、その実を完全に結んでおられる主イエスだからです。ですから、言い換えれば、御霊の実を豊かに結ぶということは、私たちが主イエスに似た者となるということと同じです。

この世においては、私たちはどこまでも欠けのある者です。しかし、たとえ欠けがあろうとも、主は私たちを、キリストに似る者として成長し続けるようにと、御霊を送ってくださっています。私ちを主イエスの十字架によって贖ってくださった父なる神の愛と恵みを覚え、キリストに似る者となることを目指して御霊によって歩んでまいりましょう。

まとめ

イエスの御霊である聖霊は、私たちに救いの真理を教え、主が語られたいっさいのことを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)。私たちは、救われるために良い実を結び、善い行いをするのではありません。ただ主のあわれみと恵みによって、主からの救いをいただきました(エペソ2:5)。この主の愛と恵みに対する喜びと感謝があるからこそ、私たちクリスチャンは、主の愛と救いの恵みに応えようとして、キリストにならい、聖霊の実を結びたいと願うのです。御霊によって生き、御霊に導かれ、御霊によって進み、豊かな御霊の実を結ばせていただきましょう。

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