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『義と平和の王』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 創世記14:17-24

はじめに

戦いに勝利して帰ってきたアブラハムは、いと高き神の祭司メルキゼデクにすべての十分の一をささげました。これは、勝利と祝福が主から与えられたことであるということを表わす信仰の態度です。今朝は、すべての善きものは、主から与えられるということを見てまいります。

1.主は、その時代を生きる信者と共におられるお方である

四人の大国の王たちによる連合軍と、ソドム、ゴモラなどをはじめとする五人の王たちの連合軍が戦いをしました。結果は四人の王による連合軍の勝利で、ソドムとゴモラをはじめとする連合国は、全財産と食糧を全て奪われました(創世記14:1-11)。ソドムに住んでいたロトは、その戦いに巻き込まれ、全財産を奪われて、家族と共にとらわれの身となりました(創世記14:12)。

ロトが戦禍を被ったのは、ソドムに住むという自分の選択によることですが、アブラハムはそんなロトを見捨てずに助けます。彼は318人という数少ない手勢と共に、ロトとその財産を取り返し、四人の王の連合軍に勝利します。

アブラハムは甥のロトを通して、当時頻発していた、民族間の戦争に巻き込まれました。しかし、彼は、そのような社会状況の中でも、主の助けと守り、導きがあることを知るのです。現代に生きる私たちも、この世の中の様々な影響の中で信仰生活をおくっています。アブラハムのように、日々の生活、戦いの中にも主の導きと助けがあることを覚えてまいりましょう。

2.主は、私たちの信仰を引き出してくださる

アブラハムが敵を打ち破って帰ってきた時、シャレムの王であり祭司でもあるメルキゼデクが、アブラハムを祝福しました(創世記14:18-20)。メルキゼデクの祝福によって、アブラハムは勝利が「いと高き神」から与えられたものであることを再確認し、その信仰の応答として、メルキゼデクの前にひれ伏し、十分の一の捧げものをします。このメルキゼデクは、新約聖書ヘブル人への手紙の中で、キリストのひな型として表されています。キリストは「とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司」(ヘブル7:17)です。

ソドムの王はアブラハムに、人々は自分に返し、財産は取ってください(創世記14:21)と言います。アブラハムは戦勝者なので、当時の常識からすれば、すべての戦利品を獲る権利がありました。しかし、アブラハムはソドムの王に「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」(創世記14:2)と王の申し出を断ります。彼は、メルキゼデクの祝福によって信仰を引き上げられ、自分を守って養い、豊かにしてくださるのは主であると、信仰を言い表したのです。私たちも、機会を生かして、主こそが私を生かし、守り導いていてくださるのです、と信仰を言い表しましょう。主はとこしえの祭司として、私たちを祝福し、私たちから信仰を引き出してくださいます。

まとめ

主イエス・キリストは永遠に生きていて、私たちのために、とりなしをしておられる真の大祭司です。ですから、主は、神に近づく者たちを、完全に救うことができるのです。(ヘブル7:24-25)私たちは、主イエスによって完成された救いの恵みにあずかり、心から主を賛美し、ほめたたえる者とされたことを感謝しましょう。また、私たちも主の救いの恵みを伝える者とされたことを覚えて感謝し、主の御業に励んでまいりましょう。「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Ⅰペテロ2:9)。

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