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『試練と神の真実』

説教:高橋正人 牧師

はじめに

信仰生活には、さまざまの試練があります。パウロは、イスラエルの先祖たちの歴史を教訓としながら、試練に打ち勝つようにとコリントの人たちに語ります。今朝、ご一緒に試練と神の真実について見てまいります。

9章の終わりで、パウロは人に福音を伝えていながら、自分が失格者にならないために、自分のからだを打ちたたいてでも主に従うことを語りました(Ⅰコリント9:27)。そこで、彼は私たちに対する戒めの実例として、指導者モーセによって、エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルの民のことをあげて警告をします。

イスラエルの民は、出エジプトという40年にも及ぶ長い荒野の生活において、主の不思議な導きと助けによって養われました。しかし、主の数々の大いなる奇跡を体験しながらも、彼らの大部分は主への不信仰と不従順のために、荒野で滅ぼされてしまいました。

パウロは、イスラエルの民の先祖たちが陥ったことは、コリント教会の人々にも、また、今の私たちクリスチャンにも当てはまることとして、警告をします。主イエスの十字架の贖いという大きな恵みをいただきながら、イスラエル人が陥ったように、自分たちの都合の良い偶像を作ってしまったり、世の快楽を求めて主から離れてはなりません。私たちは、主からいただいた信仰によって歩み続けるということを、途中で放り出してはなりません。完成を目指して主イエスと共に歩み抜こうではありませんか(マタイ10:22)。

2.神は真実なお方

パウロは、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント10:12)と、私たちが誘惑に陥らないようにと教えています。私たちは、パウロの警告にあるように、罪や肉の行いに陥らないように「気をつけ」なければなりません。パウロは、特に、誘惑と共に試練について、正しく受け止めることを教えています。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13

試練は、主が私たちを子として取り扱ってくださっていること、また、信仰を鍛え、成長させるために与えておられるもので、その背後には、神の御心と御計画があるのです(ヘブル12:5,6)。ですから、主は私たちに「耐えられないほどの試練に会わせることはなさらず」、「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださ」るのです。

試練は、私たちを滅ぼすためのものではないことをおぼえましょう。主が許した試練には、必ず脱出の道が備えられています。このことを、パウロは「神は真実な方です」(Ⅰコリント12:13)という言葉で表します。「神は真実な方」であるとは、主は私たちクリスチャンに対して、ご自身の言葉、約束をどこまでも忠実に固く守ってくださり、真実であり続けてくださるということです。それは、父なる神のひとり子イエスにおいて明確に表されました。

荒野で、イスラエルの人々は、苦しみや困難に会ったとき「神の真実」を見失ってしまいました。試練を神からのものとして受け止めなかったために、神が備えておられた脱出の道を求めることをせず、自分の思いや手段で偶像を作り、自分で自分を救おうとしました。そのために彼らは、まことの平安を見いだすことができずに、倒れ滅んでしまいました。私たちは、主イエスによって表され、与えられた神の真実を信じて、信仰生活を歩み続けてまいりましょう。

まとめ

さまざまな試練が襲いかかってくる信仰の生活の中で、私たちは、人間の方法や、自分の力で立ち続けようとするのではなく、主イエスによって示されている「神の真実」から目を離さないでいましょう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2

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