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『悔い改めを待つ神』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ13:1-9

はじめに

本日は、東日本大震災から一年にあたる礼拝です。このことを覚えながら、今の私たちの教会に主が問われていることを、本日の聖書箇所からご一緒に見てまいりましょう。

1.悔い改めを迫られる主

これまで、主イエスは、すべての人が主のさばきの前に立つときがくるので、そのために備えるべきことを教えてこられました。そのような中、ある人たちが、神を礼拝しているときに起きた「災難」を知らせました(ルカ13:1)。彼らは、総督ピラトによって礼拝中に殺されたガリラヤ人たちは、他の多くの者たちよりも罪深く、罪に対するさばきを受けたと考えたのです(ルカ13:2)。これは、いわゆる因果応報の考え方と似ていると言えます。

主イエスは、彼らの考えに対して、「そうではない」と強く否定され、さらに、最近起ったシロアムの塔が倒れ落ちて、18人が亡くなった事故のことについて話されます。主は、これら二つの悲惨な事件や事故を取り上げて、このような災難にあった人たちは、他の人たちより罪深い者であったからであるという因果応報思想を真っ向から否定されました。

主イエスは、これらの人間には理解することのできない「災難」について、その原因を語ってはいません。主イエスが二つの出来事を通して語られたことは、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(ルカ13:3,5)ということです。このみ言葉は、主イエスがここで語ろうとしていることの中心です。

主イエスは、悔い改めの重要性を示すために、「ぶどう園に植えられた一本のいちじくの木」の譬えを語られます。ぶどう園の主人は、いちじくの木が結実するのを三年間待ちますが、実ったためしがありません。そこで、切り倒そうとします(ルカ13:7)。しかし、このぶどう園の番人は、主人に執り成して、「ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」(ルカ13:8)とお願いします。この譬え話は、主が、私たちの悔い改めを忍耐して待っておられる姿を表します。このいちじくの木の実は、主イエスが私たちに求めておられる悔い改めのことです。

ここで主イエスは、高みの見物のようにして私たちに悔い改めを求めているのではありません。心かたくなで、悔い改めという実をなかなか結ぼうとしない私たちに対して、父なる神はそのひとり子である主イエスを遣わしてくださいました。ここに神の愛が示されています。御子イエスは、人となり、十字架で死んでくださり、死後三日目によみがえってくださいました。主イエスによって、私たちに真の救いの道が与えられました。

私たちは、この世の尺度で人の命の価値をはかります。しかし、主イエスは、永遠という視点で人間の魂を見ておられ、何よりもその魂の価値をご存じでした。私たちが主イエスとどのように向き合うかによって、私たちの行く先が定まります。今というときに、私たちは主イエスを受け入れ、悔い改めの実を結ぶ者とさせていただきましょう。

まとめ

私たちの究極の救いは、主イエス・キリスト以外にはありません。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒4:12)終わりの日のさばきに備えて、真実な悔い改めに生きるために、主は忍耐をもって待っていてくださいます。「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル3:15)大震災から一年を経て、私たちは同胞の救いということについて、今こそ、永遠の命という視点で魂を見ておられる主イエスの心を心とし、日本全体の救霊のために執り成しの祈りをささげ、私たちの置かれている場において、忠実にみ言葉を伝えて行きましょう。

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