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『神の秩序を基とする』

説教:高橋正人 牧師

はじめに

士師記17章以降は、士師が活躍していた同時期のイスラエルの人々の霊的状態を示しています。今朝は、ミカの家とダン部族の移動という出来事を通して、私たちの信仰姿勢について大切な基本を見てまいりましょう。

1.霊的混乱の中のイスラエル

この時代のイスラエルは、霊的に混乱していました(士師記17:6)。そのひとつがミカの家に起こったことです。母親の銀を盗んだミカは、母の呪いの言葉を聞いて、盗んだものを返しました。母親は呪いを打ち消して祝福を祈り、返された銀を主にささげました。しかし、母親はその銀でミカのために「彫像と鋳像を造った」(士師記17:3-4)のです。また、ミカ自身も「神の宮」を自分の家に持っており、彼はその息子の一人を任命して自分の祭司にしていたのです(士師記17:5)。

これらのことは、一見とても信仰的に見えますが、実は、主が忌み嫌われることです。「神の宮」は契約の箱が置かれた幕屋でなければならず、「彫像と鋳像」を造ることは、十戒の第二戒(出エジプト20:4)に反し、レビ人しか祭司になれないにも関わらず、勝手にエフライム族の自分の子から祭司を選んでいたのです。彼らの行為は、主の御言葉に聞き従っているのではなく、自分たちに都合の良い、自己中心的な信仰に基づいたものでした。

私たちの信仰生活はどうでしょうか。信仰といいながら、いつの間にか自分の考えや世の中の基準が優先されてはいないでしょうか。毎日の私たちの思い、会話、行動が、聖書の御言葉を基としているかどうか吟味しましょう。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)。

2.主の目にかなうことを行う

ダン部族は、すでに相続地の割り当てを受けていました(ヨシュア19:40-48)。しかし、割り当て地には強い先住民がいて、彼らは山地に追い詰められたのです(士師記1:34)。そこで、ダン族は、新たな地を求めて、シドン人の住むライシュに、五人の斥候を送りました。斥候たちは途中でミカの家に宿泊しますが、ミカの家にいた祭司と、祭儀の道具を盗みました(士師記18:18)。それ自体、彼らの横暴さを明らかにしていますが、祭司に語った言葉も、彼らの霊的混乱を示しています(士師記18:19)。

その後、ダン族はライシュに行き、平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを打ち、火でその町を焼き、そこに町を建てて住み、その町にダンという名をつけたました。しかし、聖書は「その町のもとの名はライシュであった」(士師記18:29)と語っています。これら一連のことを通して、ダン族は、アロン系ではないモーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫を祭司とし、神の宮がシロにある間中、偶像礼拝を行い続けたのです。

イスラエルの霊的混乱はみな、主の目ではなく、「自分の目に正しいと見えることを行なっていた」ことから生じました。神の言葉である聖書が、最終的な権威です。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言14:12)私たちは、自分たちの目にではなく、主の目に正しいと見られることを行うために、主の御言葉、聖書の言葉によって歩もうではありませんか。「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」(詩篇119:165

まとめ

コリントの教会は、各自がおのおのの目に正しいと思うことを無秩序に行っていたために、霊的混乱が起こっていました。私たちは、キリストをかしらとする教会には、聖霊による神の秩序が与えられていることを深く覚えなければなりません。「神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。」(Ⅰコリント14:33)主を第一に求め、主の秩序に従うとき、私たちには平安があり、つまずきがありません。

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