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『必要を満たされる神』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ4:10-20

はじめに

この箇所は、ピリピ教会からの祈りと援助に対して、パウロが感謝を表しているところです。獄中にあっても、主はパウロの宣教のためにあらゆる必要を満たしてくださいました。

.どんな境遇にあっても満ち足りる心

パウロは、獄中にあっても、ピリピ教会の継続的な援助によって支えられました。パウロはそのことに感謝をしています。ピリピ教会は、パウロが福音を宣べ伝えはじめた頃から、一度ならず、二度までも実際に「物を送って」彼の宣教の働きを支えていました(ピリピ4:15-16)。ここに、パウロとピリピ教会との密接な関わりや、ピリピ教会の宣教の業に対する熱心さを見ることができます。

パウロは、ピリピ教会の援助によって支えられていましたが、「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(ピリピ4:11)とある通り、彼は援助がなくても、十分に主のために働くことができると語りました。それは、パウロが、この手紙を通して、感謝や喜びだけではなく、キリストによって満たされている者の信仰姿勢を教会の信者たちに示そうとしたからです。

現代の私たちクリスチャンも、確かにこの世のもので日々の生活をしています。しかし、この世の物だけでは、人間は生きるものではありません。「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」(申命記8:3)とある通りです。また、私たちの生活のために必要なものは、すべて「万物を創造した神」によるものです。私たちの命のために、主が必要のいっさいのものを備え、与えてくださることを感謝してまいりましょう。

2.霊的祝福にあずかるために

パウロは、更に、「私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです」(ピリピ4:17)と語ります。パウロは、自分が援助を求めているのではないことを示しながら、教会の援助は、主の働きのために豊かな実を実らせることが本来の目的であると語っています。

パウロは、ヒューマニズム的に人の為に援助するということを語っているのではありません。教会が主の業のために援助をするということの中に、主の救いの業にあずかって、信仰を持って歩む者の姿があることを示しているのです(使徒20:35)。彼は、主の働きをする時に、常に主が、その栄光の富をもって、必要をすべて満たしてくださったことを体験していました(ピリピ4:19)。それゆえに、パウロの宣教のための必要を満たしてくださった主は、ピリピの教会をも豊かに満たしてくださると確信していたのです。主イエスの十字架の救いにあずかった私たちは、その恵みに応答して、真に主なる神に栄光を帰し、自分自身を主の前にささげて行こうではありませんか。

まとめ

主の栄光の富は、私たちの地上の富をはるかに超えた、真実に豊かなものです。私たちは、イエス・キリストによって贖われ、主の救いにあずかっているという豊かさを知った者です。主が本来受ける価値のない、さばかれて滅びるのが当然である私たちに、御子を遣わしてくださり、罪を赦し、神の子としての特権を与えてくださり、永遠の命さえ与えてくださいました。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)すべての必要を満たしてくださる主を信じてまいりましょう。

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